2011年5月19日木曜日

「殺人」だけの特別な因子

 上田早夕里著「魚舟・獣舟」、読了です。
 結局、最期まで上田早夕里の小説には納得できませんでした。
 「小鳥の墓」においても、あたかも「人殺しの遺伝子」があるような記述に違和感があります。
 少し抜粋します。

──ここから──

 人類の歴史上、殺人という行為が途絶えなかったのは、人類の中に常に、簡単に殺人モードに移行する個体が発生する仕組みになっている、もしくは誰もがその因子を持っていると考えると、筋が通るのかもしれない。

──ここまで──(光文社文庫・上田早夕里著「魚舟・獣舟」302頁)

 この数行に、「浮気をするのは遺伝子のせい」といった妙な解釈に似た、誤った思想を感じます。
 仮に、殺人の因子が全ての人類にあるとしても、殺人を犯した理由が、本当にその因子にあるとどうやって特定するというのでしょう。それに、行動の全て──、殺人や窃盗や強姦や援助や寄付や恋愛など、すべての行動に特定の因子があり、その因子によって行動が引き起されているかのようにも思えます。
 しかし、恋愛を引き起す因子は、逆に強姦や殺人を引き起すかもしれないし、援助や寄付と言った行為も、窃盗と同じく打算的な行為かもしれません。
 殺人という突出した悪行だけに注目すれば、その行為だけが何らかの特殊な因子に起因しているかのように感じるのかも知れません。しかし、殺人という行為だけが独立した因子によって成り立っているわけではなく、日常生活をおくる上での様々な感情や行為の因子と連携しながら生じた結果の罪であるならば、その行為もまた、もしかするとヒトにとっての「日常」なのかもしれません。

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