上田早夕里著「魚舟・獣舟」、上田早夕里の良さがまったく理解できないまま、読み進めています。
短編「ブルーグラス」まで、読み終えました。
伸雄がブルーグラスを珊瑚礁に置いてきたこと自体、立派な環境破壊である、ということ以外に、なんか、よくわからん話です。(^_^;)
132頁より、一部抜粋します。
──ここから──
人類の本質が、海洋を利用し、汚染し続けることにこそあるのだとすれば、なぜ自分たちは、この厳しくたおやかな世界が失われるのをこれほどまでに惜しむのだろう。どうして海を、ただの資源として割り切って見られないのか。宇宙空間を漂う鉱物資源と同じ感覚で見られれば、これほど苦悩はしないだろうに。なぜ自分たちは、海という存在を、これほどまでに愛してしまうのか。
──ここまで──(光文社文庫・上田早夕里著「魚舟・獣舟」132頁)
この答えは簡単です。それは、自分たちにとって都合の良い環境が失われてしまうことへの危機感が、人をそのような感情へと導くからですね。
よく、「地球に優しい」という言葉を耳にしますが、地球は、破壊されようが汚染されようが、生物が絶滅しようが、無関心なままです。何が起ろうと、太陽のまわりを回り続けるでしょう。地球にとって、海洋汚染や大気汚染など、どうでもいいことなのですよね。では、なぜ、そのような行為に人が危機感を募らせるのかと言えば、人にとって都合の良い環境が破壊されてしまうからに他ありません。「地球に優しい」と思っていた行為は、じつは「人に優しい」行為だったのです。
人は、海だけではなく、古くから森林なども保護してきました。その理由は、領主の狩場が荒らされるからという理由でした。これと、現代における環境保護は、同じ物です。「領主の狩場」が「人類の狩場」に置き換わっただけで、どちらも、自分たちにとって利用できる都合の良い環境を保全しようと考えていることに違いはないのですから。
宇宙空間を漂う鉱物資源がなくなってしまうことに、人は何の感情も抱かないでしょう。なぜなら、そこは、自分たちにとって都合いい環境とは言えないからです。鉱物資源が枯渇することによる経済的な心配をするだけですね。
あと、「人類の本質が、海洋を利用し、汚染し続けることにこそある」は、「生物の本質が、」と改めさせていただきたい。
あの美しい珊瑚礁に住む生物たちが、海洋を利用し、汚染し続けていることは明らかです。仮に、ある種のヒトデが爆発的に数を増やしたとしても、そのヒトデは妥協することなく海洋をこれまでと同様に利用し、汚染範囲を広げようとするだろうし、サンゴすら、できることならば海洋を利用し尽くすまで、個体数を増やそうとするでしょう。美しい色や模様をした熱帯の魚たちも、可能であるならば他の生物を根絶やしにするまでその数を無限に増やし続け、海洋資源を蹂躙し続けるでしょう。この力関係の葛藤が生物の多様性の正体であり、人が多様性のある海を美しいと感じるのは、それが単に人にとって都合の良い環境だからです。もしかするとシアノバクテリアにとって美しい環境とは、もっと違うものなのかもしれません。
上田早夕里を読むと、反論したいことの方が多すぎて、何かすっきりしない──。たぶん、反論はまだまだ続きます。(^_^;)
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