大森望・日下三蔵・山田正紀編「原色の想像力」、読了です。
第一回創元SF短編賞の最終選考に残った九編と受賞作作家による書き下ろしを集めたアンソロジーです。
まず、高山羽根子著「うどん キツネつきの」から。
得体の知れない生き物を拾った姉妹が、その生き物とともに歳月を重ね、大人になっていくという物語。拾った生き物の正体は、ずっと明かされないままストーリーが進んでいくので、ちょっとモヤモヤが残りました。w
なんとなくだけど、テリー・ビッスンばりのほら話のようでもあり、楽しめました。
ただ、ラストで和江が何をどう思ったのかは不明。わかる人にはわかるのでしょうか?僕にはさっぱりでした。(^_^;)
端江田仗著「猫のチュトラリー」
ミャウリンガルの発展型をインストールされたケアノイド(介護用のアンドロイド)が、猫と人を間違うお話し。ほのぼの系のSFのようでもあり、他者というものについて考えさせられるようでもあり、なかなか楽しめました。
永山驢馬著「時計じかけの天使」
この作者は小説慣れしていますね。主題がしっかりしていて、何を書けばいいのかわかっているという印象です。うまいですね。
笛地静恵著「人魚の海」
隕石の落下が生態系を変えてしまった世界を描いている──、ように思えます。その世界があまりに奇異で匂うように官能的。いい意味でぶっ飛んでいます。
多少読みづらい文章だと感じたのですが、その色濃い特徴が、この作品の世界観にマッチしていて、独特の雰囲気を作り出しています。いろいろ刺激される作品でした。
おおむらしんいち著「かな式 まちかど」
ええ?これもSFなんですか?w
でも、笑いました。楽しい作品です。こういうのも、アリかなぁ。(^_^;)
亘星恵風著「ママはユビキタス」
これもいいですね。ここまで壮大な話になのに、親子の話になっていて、その濃密な関係が主人公の孤独感を浮き立たせているようにも思えます。
山下敬著「土の塵」
ループものの時間SFですね。これはSFの古典だ。うまいですね。
宮内悠介著「盤上の夜」
これはおもしろかった!手足を失った女性が、囲碁の局面に自分の四肢の延長を知覚してしまうというお話し。囲碁がわからない僕にも十分楽しめました。他作品があれば、それもちょっと読んでみたいですね。
坂永雄一著「さえずりの宇宙」
う~ん、これは、読者に負担を強いる小説だなぁ。なんとなく言いたいことはわかるけど、もうすこし説明的な部分も欲しいかも。疲れました。w
松崎有理著「ぼくの手のなかでしずかに」
数学者の話だったので、そっちに重きが置かれているのかと思えば、長生きするか繁殖するか、というテーマだった。サーチュイン遺伝子みたいなものを想像しながら読んでみましたが、ちょっと肩すかしを食らったようでもあります。
さて、このアンソロジーには、巻末に第一回創元SF短編賞の最終選考座談会というのが載っていて、個人的にはかなり笑わせていただきました。
そして、僕も全然知らなかったのですが、巨大化する女性フェチとも言うべきGTSというジャンルがあり、まさに「人魚の海」の著者である笛地静恵さんが、その筋では有名な方だということで、びっくり。そんなフェチがあったのかぁぁっ!
あと、高山羽根子著「うどん キツネつきの」は誰が読んでも、「わからないもの」なんですね。(いい意味で)(^_^;)
たしかに、頭の中を引っかき回されるような刺激はありました。三姉妹同時にペットの名前を「うどん」と答えるシーンなど、吹き出してしまいましたので。うどんってなんだろうと思いながら読み進めたので、名前が「うどん」だったのかぁぁっ!みたいな。
こういうの、面白いですね。最終選考に残らなかった他の作品も読んでみたい気がします。
2012年1月31日火曜日
2012年1月16日月曜日
約束の方舟
瀬尾つかさ著「約束の方舟」、読了です。
ハヤカワ文庫さん、ここ最近、意識的にラノベ作家さんを起用されているようで、その流れに僕もすこし付き合ってみたいと思います。
瀬尾つかさのラノベは、一冊も読んだことがない(すいませんw)ので、ラノベとの比較はできないのですが、ずいぶん可愛い小説だなぁ、というのが感想です。
あらすじ。
主人公シンゴは、百年にわたって旅を続ける多世代恒星間航宙船タカマガハラIIで暮らす少年。航宙船の船内では、人々はベガーと呼ばれるゼリー状の生物と共存している。旅は終わりに近づいていたが、その昔ベガーと戦争した大人と、ベガーを友だちのように感じている子供のあいだで、小さいながらも意識のズレが生じ始めていた。
たぶん、ハードSF志向の作家が書くと、宇宙船の構造や減速のタイミングにこだわるのだろうけれど、そういうものは異星人のテクノロジーということですべて丸投げしてしまって、そこで暮らす少年や少女の描写に力を入れる、というのも、SFのひとつのカタチなのかもしれません。
子供と大人の価値観が大きく食い違っている社会というのは、たとえば、バブルを体験した大人と、就職難の時代に生きる若者が共存する現代のようで、その食違いのようなものがとても面白かったですね。
個人的な不満を言わせてもらえれば、テル=ウィルトトには、テル成分をずっと維持させて欲しかった!そして、マザー・ベガーの記憶が戻ると同時に、テルは完全なヒトへと変身可能になる!ってやって欲しかったんですよねぇ。そして、完全無欠のロリキャラ完成!!
って、それじゃラノベか?(^_^;)
ハヤカワ文庫さん、ここ最近、意識的にラノベ作家さんを起用されているようで、その流れに僕もすこし付き合ってみたいと思います。
瀬尾つかさのラノベは、一冊も読んだことがない(すいませんw)ので、ラノベとの比較はできないのですが、ずいぶん可愛い小説だなぁ、というのが感想です。
あらすじ。
主人公シンゴは、百年にわたって旅を続ける多世代恒星間航宙船タカマガハラIIで暮らす少年。航宙船の船内では、人々はベガーと呼ばれるゼリー状の生物と共存している。旅は終わりに近づいていたが、その昔ベガーと戦争した大人と、ベガーを友だちのように感じている子供のあいだで、小さいながらも意識のズレが生じ始めていた。
たぶん、ハードSF志向の作家が書くと、宇宙船の構造や減速のタイミングにこだわるのだろうけれど、そういうものは異星人のテクノロジーということですべて丸投げしてしまって、そこで暮らす少年や少女の描写に力を入れる、というのも、SFのひとつのカタチなのかもしれません。
子供と大人の価値観が大きく食い違っている社会というのは、たとえば、バブルを体験した大人と、就職難の時代に生きる若者が共存する現代のようで、その食違いのようなものがとても面白かったですね。
個人的な不満を言わせてもらえれば、テル=ウィルトトには、テル成分をずっと維持させて欲しかった!そして、マザー・ベガーの記憶が戻ると同時に、テルは完全なヒトへと変身可能になる!ってやって欲しかったんですよねぇ。そして、完全無欠のロリキャラ完成!!
って、それじゃラノベか?(^_^;)
2012年1月9日月曜日
今年の一冊目
瑞智士記「展翅少女人形館」、読了です。
ヒトの子宮で育まれる命が、ヒトであることを辞め、球体関節を持った人形になってしまう。そんな未来を描いています。
主人公たちは、そんな世界にあって、めずらしくヒトとして生まれてきた少女たちであり、その少女たちが織りなす人間関係やフェティシズムを、退廃的に、そして官能的に描いています。
また、物語の舞台を、修道院という閉鎖された空間にすることで、ヒトの関係性をより濃密なものとし、歪で奇怪な方向へ推し進めることに成功していると言えます。
ミラーナのバレエのシーンなど、僕には到底書けそうもない描写力なので、ちょっとうらやましいですね。(^_^;)
これ、読んでいて疑問に思ったのが、生まれてくる人形は、みんな少女の形をした人形なのだろうか?ってこと。
現に、男の子の姿をしたビスクドールはあって、もし、「展翅少女人形館」のフローリカのような、人形に釘を刺すことで歓びを感じるような趣味の女の子の場合、対象となる人形は女の子タイプと男の子タイプ、どっちがいいんだろうか?などと考えてしまったわけです。
でも、「少女人形館」だから、男の子タイプは修道院にはないのかもしれませんね。
2012年1月2日月曜日
カールは二度、ウナギで悪戯したのか?
あけまして、おめでとうございます。
今年は、いい年でありますように。
新潮文庫村岡花子訳、モンゴメリ著「赤毛のアン」シリーズ全一〇巻、読了です。
昨年、名作アニメ「赤毛のアン」を観て以来、ずっとこのシリーズを読んできたわけなのですが、なんとか、昨年内に読み切ることができました。
「アンの娘リラ」の巻末にある村岡の解説によると、本来、「赤毛のアン・シリーズ」というのは、八冊目の「アンをめぐる人々」をもって終了するらしく、たしかに、九冊目の「虹の谷のアン」では、メレディス牧師の子供たちが主人公だし、一〇冊目の「アンの娘リラ」でも、アンは脇役に徹しています。※1
人は歳をとると悲しみも増えるもので、その悲しみはアンの身にも降りかかります。育ての親であるマリラを亡くし、世界大戦は次男のウォルターも奪います。
アンの人生をハッピーエンドとして完結させたいのであれば、七冊目の炉辺荘(イングルサイド)のアン」で読み終えてもいいのではないか!
ただ、あるエピソードから、モンゴメリは、炉辺荘のアンを書いた時点で、その後の構想をすでに持っていたことがわかります。
「炉辺荘のアン」で生まれた長男のジェムが、子供時代、犬に恵まれなかった、というエピソードがあったと思います。
そのエピソードでモンゴメリは、将来的にジェムが忠実な犬を飼い、その犬の献身的な愛情はグレン村の歴史に残るほどだったと書いている通り、「炉辺荘のアン」を書いた時点で、モンゴメリはすでに、世界対戦中の話を書くことを決めていたのですね。※2
つまり、増えていく悲しみをアンが背負う、そういった辛い話も含めて、このシリーズなのかなぁ、と思うわけです。「赤毛のアン」のラストも、そんなにハッピーエンドじゃなかったですし。
また、シリーズ最初の「赤毛のアン」が出版されたのが1908年。すでに三〇年以上経ってから書かれているシリーズであり、モンゴメリ自身の心の変化も反映されているのかもしれません。
このシリーズ、登場人物の数がものすごく多く、「良く書いたなぁ」と思うのですが、メレディス牧師の次男カールについて、ちょっと気付いた箇所が……。
「虹の谷のアン」で、鰻をカー夫人の馬車に投げ入れるといった悪戯をしたカール。そのカールを、父親のジョン・メレディスは、鞭で打とうと決意するのですが、結局、カールの目が死んだ妻と似ていると気付いた牧師は、鞭で打つことはできませんでした。※3
ところが、「アンの娘リラ」では、メレディス牧師はウナギで悪戯したカールのことを一度だけ打った、とあります。※4
え?カールは、あの後で、またやらかしたのか?
いや待て。
カールの目が死んだ妻の目に似ていること気付いた、とあるので、やはり「虹の谷のアン」のときの、あのエピソードを言っているのだろと思われます。
僕の想像では、牧師が、自分の息子を鞭で打とうと決意したこと自体に罪の意識を持ち、記憶の中で、息子を鞭で打ったことにしてしまったのではないか?と思うのですよね。
つまり、牧師の中の罪悪感が、記憶を書き換えてしまったのです。
うん。
そういうことにしよう!(^_^;)
※1 wikiによると、この分類方法にも何種類かあるらしく、モンゴメリ自身は「アンをめぐる人々」をシリーズに入れたくなかったらしい。
※2 「炉辺荘のアン」が書かれたのが1939年。最初の世界大戦が1914年から1918年。つまり、モンゴメリは戦後になって、「炉辺荘のアン」という戦前のエピソードを書いている。
※3 「虹の谷のアン」新潮文庫429ページ参照。
※4 「アンの娘リラ」新潮文庫297ページ参照。
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