サルなど動物の売春行為について調べていてたどり着いたウエッブサイトです。
http://homepage2.nifty.com/anthrop/selfish_gene.html
「利己的な遺伝子」を批判されているようですが、反論があります。
上記URLにて、榎本知郎は、『たとえば、「自動車をつくる」という行動戦略があったとしよう。』といったような仮定から議論をはじめられています。しかし、人が自動車を作り始めたのはここ百数十年ほどまえからであり、そういった遺伝子があるはずがないと明らかであるのに、なぜそのようなあり得ない仮定から議論を始めるのか、謎です。人の行動パターンひとつひとつに対応するような遺伝子(例えばブログを書く遺伝子とか w)があるはずがなく、この議論がいかに空論であるかわかります。
話の切り出し方として、例えばビーバーのダム造りやカッコウの托卵行動など、その動物特有の生得的な行動とされている事例が多くあり、この議論の場合、そのような行動ひとつひとつと遺伝子の対応を述べて批判した方が妥当であるように思えます。
人の行動には文化的側面が多く影響していて、それが生得的なものかそうでないかの判定は難しいものとなっています。ニホンザルの、サツマイモを海水で洗って食べるような行動が、文化的であることは明らかなのですが、その文化継承を可能にした脳の発達、あるいはその行動に関わるすべての器官の進化は遺伝子によるものでしょう。
「自動車を作る遺伝子」などの仮定は、「サツマイモを洗う遺伝子」などと言っているようなもので、まったく無意味な仮定です。
たしかに、「托卵行動」をする遺伝子が、「カッコウのDNAの、こことここにある!」といった研究は、『母性遺伝するミトコンドリアDNA に違いが見出されたことから、カッコウの托卵系統(宿主特異性)は、雌側を通してのみ維持されている可能性が高まった。』といった程度のことしか明かされていないわけで、榎本の言うように、『つまり、完璧な複雑系なのである。「戦略遺伝子」だけを行動現象から切り取ることはできないし、正確な因果関係を知り得ない』のかもしれません。しかし、托卵行動を決めるいくつかの遺伝子(前述のようにどれだかは、わからないが)は明らかに遺伝しているし、その遺伝によって、カッコウが選択する宿主の傾向が決定して、托卵行動が成功するか失敗するかといった適応度に関わる行動にも影響を及ぼしています。
また、『解のある方程式はないということは、進化の結果としての生物の状態が、行動戦略論で仮定する「最適値」であるかどうかはわからない、ということを示している。』ということなのですが、それはあたりまえです。だって、僕たち人類を含めた多くの種は、それぞれが占めている生物学的なニッチの中に、「最適値」を持って君臨しているわけではないからです。僕たちを含めた多くの種は、そのニッチの中で、変化(進化)の過程に生きているに過ぎず、わずかに他の種よりも繁殖に有利なだけです。それこそ複雑系が向かう途上にあるわけで、進化の最終結果として現存種が生きているわけではありません。これって、忘れがちなんですよね。(^_^;)
じつは、僕も榎本とは違った理屈から「利己的な遺伝子」への懐疑的な思いはあります。生物の行動を決定づける基本的な構造物が遺伝子であるといったような仮定は、遺伝子を捨ててでも数を増やそうとする細菌のふるまいは説明できません。細菌は、あたかも脂肪酸の膜で覆われた複雑な環境を、ただふたつに増やしたいと永遠に願い続けているようにも思えるからです。利己的な遺伝子という概念があてはまる真核生物は、ミトコンドリアとの共生によってなんらかの束縛を受けてしまい、利己的な遺伝子のような戦略を取らざるを得なくなった生物であるようにも思えます。そう考えれば、生物の純粋な欲求とは、遺伝子の伝達ではなく、細胞の増殖にあるように思えるのです。そのために、細胞は分裂に必要な遺伝子だけを利用したいのではないか、と。この考え方に基づけば、たまに真核生物の取り決めに反して増殖し始めるガン細胞が、個体の死とともに淘汰されてしまう理由もなんとなく理解できるように思いませんか?
最後に。
べつに、実際に遺伝子が望んでいるわけでもなく、細胞が願っているわけでもありませんので、誤解なきように。(^_^;)
また、『』内は引用文です。
カッコウの托卵行動に関する引用は、
http://wwwsoc.nii.ac.jp/osj/japanese/katsudo/taikai/2004Nara/sympo/S4.pdf
上記URLにあるpdfファイルからのコピペです。
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