河野哲也著「暴走する脳科学 哲学・倫理学からの批判的検討」、読了です。
著者は、fMRI(機能的核磁気共鳴法)やPET(陽電子放射断層撮影法)などの機器によって、脳内の活動が視覚的に研究することが可能になったことを受け、その結果の画像が、さも感情や知覚と因果関係にあるかのような解釈が与えられている昨今の脳科学を批判しています。
茂木健一郎などの脳科学者がテレビ出演するなど、テレビ等のメディアにおいても脳科学はブームのようで、当然のように新聞の一面を割いて脳トレの特集が組まれ、書店では脳科学の視点から書かれた頭の良くなるような本が並べられています。
そういった本にありがちなのが、特定の場所の脳機能と知覚したり記憶したりする行動を一対一に割り振ってしまうような理屈※で、僕もそういったある意味乱暴な脳機能の意味付けに懐疑的だったので、河野の主張は十分受け入れられるものでした。(※fMRI画像を提示して、どこそこの部位が活発に活動してるので、記憶能力がアップしているとかなんとかいう、アレです。w)
ただ、ベンジャミン・リベットの自由意志の研究に関しては、少し反論があります。
ベンジャミン・リベットの言う0.5s遅れのアウェイアネス(気づき)は、「よし、やろう!」と決意した場合の気づきのみを言っているわけではない、ということです。
リベットの実験結果は、つねに、僕たちの意識(つまり、気づき)は、脳の準備電位の発生よりも0.5s遅れて生じ、その後、意識が0.5s遡って時間的なズレを打ち消してしまうというものでした。
つまり、自由意志に関しては、ユルゲン・ハーバーマスの言うように、行為者の自己理解があるために、次に行なうべき自分の行動を選択できるわけです。
ところが、その行動を選択しようするきっかけとなった何らかの物理現象──、その行動を取らせようとした最初の一押し、というのが、気づきの0.5s前に、準備電位として生じてしまっているわけです。その後、気づきとして意識の表層に現われた決断に対して、十分な良否判定をし、その行動を行なうか、行なわないか、を選択できる(つまり、ここに自由意志がある!ハーバーマスはこれを言っているのだろうと思う)わけです。
しかし、十分な良否判定をする余裕のない場合、僕たちは、稀にとんでもない失敗をしている場合があり、後になって「どうしてあんなことをした(言った)のだろう」と後悔することもあるかと思います。僕は、そういった行動こそ、人の意識の0.5s遅れを証明しているようにも思えるのです。
つまり、最初の一押し、行動のきっかけとなる準備電位は、自由意志と思っている気づきの0.5s前にあり、それはやはり、自由と思っていた意志が、神経細胞に操られているだけかもしれない、ということを示唆しています。
で、一箇所、ツッコミです。
抜粋します。
──ここから──
移動について考えてみよう。ある生き物が移動するとき、たとえば、昆虫が暖かい場所をめがけて直進してくるように、まったく他の選択がなく行なわれる機械的な反射行動には自由はない、といえるだろう(しかし、本当は、昆虫が機械的な行動しかできないかどうかについては常識を疑ってみるべきである。ダーウィンの観察によれば、ミミズの行動も選択的である)。
──ここまで──(河野哲也著「暴走する脳科学 哲学・倫理学からの批判的検討」光文社新書一六八頁より)
ミミズは昆虫ではありません。(^_^;)
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