2011年12月27日火曜日

2011年 今年の三……、五冊

 年末です。
 そろそろ今年の三冊を選んでみたいと思います。
 まずは、今年読んだ本のリストです。

1.伊藤計劃著「ハーモニー」
2.今野緒雪著「マリア様がみてる ステップ」
3.桜庭一樹著「GOSICK
4.マイクル・フリン著「異星人の郷 上」
5.マイクル・フリン著「異星人の郷 下」
6.伊藤計劃著「虐殺器官」
7.田中久仁彦「一撃殺虫!!ホイホイさん」
8.川口淳一郎著「はやぶさ、そうまでして君は 生みの親がはじめて明かすプロジェクト秘話」
9.桜庭一樹著「GOSICK II その罪は名もなき」
10.桜庭一樹著「GOSICK III 青い薔薇の下で」
11.桜庭一樹著「GOSICKs」
12.桜庭一樹著「GOSICKs II 夏から遠ざかる列車」
13.桜庭一樹著「GOSICK IV 愚者を代弁せよ」
14.桜庭一樹著「GOSICK V ベルゼブブの頭蓋」
15.桜庭一樹著「GOSICK VI 仮面舞踏会の夜」
16.桜庭一樹著「GOSICKs III 秋の花の思い出」
17.野尻抱介著「クレギオン1 ヴェイスの盲点」 再読
18.野尻抱介著「クレギオン2 フェイダーリンクの鯨」 再読
19.野尻抱介著「クレギオン3 アンクスの海賊」 再読
20.野尻抱介著「クレギオン4 サリバン家のお引っ越し」 再読
21.野尻抱介著「クレギオン5 タリファの子守歌」 再読
22.野尻抱介著「クレギオン6 アフナスの貴石」 再読
23.野尻抱介著「クレギオン7 ベクフットの虜」 再読
24.都筑卓司著「不確定性原理 運命への挑戦」 再読
25.ヤマグチノボル著「ゼロの使い魔 18 滅亡の精霊石」 再読
26.ヤマグチノボル著「ゼロの使い魔 19 始祖の円鏡」 再読
27.ヤマグチノボル著「ゼロの使い魔 20 古深淵の聖地」
28.桜庭一樹著「GOSICK VII 薔薇色の人生」
29.朝倉怜士著「オーディオの作法」
30.アダム=トロイ・カストロ著「シリンダー世界111
31.鯨統一郎著「邪馬台国はどこですか?」
32.桜庭一樹著「推定少女」
33.佐藤 勝彦 (監修)「量子論がよくわかる本」 再読
34.桜庭一樹著「私の男」
35.小川一水著「青い星まで飛んでいけ」
36.上田早夕里著「華竜の宮」
37.浅田次郎著「地下鉄に乗って」
38.上田早夕里著「魚舟・獣舟」
39.小川一水著「天冥の標I メニー・メニー・シープ 上」
40.小川一水著「天冥の標I メニー・メニー・シープ 下」
41.小川一水著「天冥の標II 救世群」
42.小川一水著「天冥の標III アウレーリア一統」
43.桜庭一樹著「GOSICKs IV 冬のサクリファイス」
44.ルーシー・モード・モンゴメリ著「赤毛のアン」
45.小川一水著「天冥の標IV 機械じかけの子息たち」
46.ルーシー・モード・モンゴメリ著「アンの青春 赤毛のアン・シリーズ2」
47.ルーシー・モード・モンゴメリ著「アンの愛情 赤毛のアン・シリーズ3」
48.パオロ・バチガルピ著「ねじまき少女 上」
49.パオロ・バチガルピ著「ねじまき少女 下」
50.小川一水著「風の邦 星の渚 レーズスフェント興亡記 上」
51.小川一水著「風の邦 星の渚 レーズスフェント興亡記 下」
52.黒崎政夫著「となりのアンドロイド」
53.中村融編「時の娘」
54.山本弘著「アイの物語」
55.小川一水著「導きの星I 目覚めの大地」
56.小川一水著「導きの星II 争いの地平」
57.小川一水著「導きの星III 災いの空」
58.小川一水著「導きの星IV 出会いの銀河」
59.川原由美子原作「観用少女 プランツ・ドール 完全版 一巻」
60.川原由美子原作「観用少女 プランツ・ドール 完全版 二巻」
61.鬼頭莫宏原作「ヴァンデミエールの翼 一巻」
62.鬼頭莫宏原作「ヴァンデミエールの翼 二巻」
63.川原由美子原作「観用少女 プランツ・ドール 完全版 三巻」
64.桜庭一樹著「GOSICK VIII 上 神々の黄昏」
65.桜庭一樹著「GOSICK VIII 下 神々の黄昏」
66.長谷敏司著「あなたのための物語」
67.山本弘著「地球移動作戦 上」
68.山本弘著「地球移動作戦 下」
69.野尻抱介著「ロケットガール4 魔法使いとランデブー」
70.山本弘著「詩羽のいる街」
71.緒形屋はるか原作「ぽてまよ 5
72.須藤みか著「エンブリオロジスト 受精卵を育む人たち」
73.コニー・ウィルス著「犬は勘定に入れません あるいはヴィクトリア朝花瓶の謎」
74.菅浩江著「そばかすのフィギュア」
75.菅浩江著「プリズムの瞳」
76.河野哲也著「暴走する脳科学 哲学・倫理学からの批判的検討」
77.大野和基著「代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳」
78.ルーシー・モード・モンゴメリ著「アンの友達 赤毛のアン・シリーズ4」
79.ルーシー・モード・モンゴメリ著「アンの幸福 赤毛のアン・シリーズ5」
80.香月真理子著「欲望のゆくえ 子供を性の対象とする人たち」
81.ルーシー・モード・モンゴメリ著「アンの夢の家 赤毛のアン・シリーズ6」
82.ルーシー・モード・モンゴメリ著「炉辺荘のアン 赤毛のアン・シリーズ7」
83.グレッグ・イーガン著「プランクダイブ」
84.デイヴィッド・プロッツ著「ノーベル賞受賞者の精子バンク 天才の遺伝子は天才を生んだか」
85.あずまきよひこ原作「よつばと!11巻」
86.百田尚樹著「風の中のマリア」
87.菅浩江著「永遠の森 博物館惑星」
88.栗山緑著「おジャ魔女どれみ16
89.小川一水著「天冥の標 羊と猿と百掬の銀河」
90.菅浩江著「五人姉妹」
91.菅浩江著「ゆらぎの森のシエラ」
92.小川幸辰原作「エンブリヲ 一巻」
93.小川幸辰原作「エンブリヲ 二巻」
94.小川幸辰原作「エンブリヲ 三巻」
95.ルーシー・モード・モンゴメリ著「アンをめぐる人々 赤毛のアン・シリーズ8」

 以上、95冊です。
 SF42冊、ラノベ18冊、コミック10冊、「赤毛のアン・シリーズ」が9冊(現在読みかけの本も入れると10冊)、などが主な内訳です。
 今年もかなり乱読でして、前半は、野尻のクレギオンシリーズなどを再読しています。昨年までSFをあまり読んでいませんでしたので、その反動が今年来た、っていう感じですね。一年中、堪能させていただきました。
 とくに、伊藤計劃の二冊は、もう、本当にすごい!のひとこと。そして、溜めた挙げ句に一気に読んだ小川一水の「天冥の標シリーズ」は、もうSF好きで良かった!と思える内容。そして、菅浩江のすばらしい短編の数々。今年の読書は充実していました。
 では、今年の三冊、発表します。
1.伊藤計劃著「ハーモニー」
2.山本弘著「アイの物語」
3.小川一水著「天冥の標IV 機械じかけの子息たち」
 こうなりました。
 しかーっし!ここでどうしても外せない作品が二冊あって、それを特別枠ということで、
4.菅浩江著「プリズムの瞳」
5.川原由美子原作「観用少女 プランツ・ドール」
 これらも入れたい!
 全然「今年の三冊」じゃないですね。(^_^;)
 でも、そんな厳格に選ばなくてもいいんです。なぜなら、ここは僕の日記帳なので。(^_^;)
 「ハーモニー」と「アイの物語」は文句なく今年の三冊です。ちなみに、伊藤計劃の長編は「虐殺器官」より、僕は「ハーモニー」の方がよく書けていると思うのです。あの読後感は、なんとも言えませんね。
 「天冥の標IV 機械じかけの子息たち」はかなり迷いました。しかし、エロ小説(し、失礼!w)にも関わらず、なぜこうも読者に問いかけてくるのか?この力量!さすが一水です。たんなるエロではなく、快楽を求めることはどうして軽蔑されるのか?なぜ、それはそれほどまでに恥ずべきものなのか、といった僕たちの感情の根源のようなものまで考えさせられる作品でした。
 「プリズムの瞳」は、アンドロイドを描きつつ、その実、人間を描いているといううまさ。今年はじめて読んだ作家なのですが、かなりはまりました。
 そして、最後のコミック「プランツ・ドール」は、少女と女の境界のようなものを描いていて、「あ~あ、こいつ女になっちゃったよ」みたいな、ロリコンとしては残念な瞬間を描いていて、面白かったですね。
 これら以外では、生殖医療に関するノンフィクションがなかなか考えさせられるものばかりで、読み応えがありました。不妊というのは病気なのか?子供が欲しいと思う気持ちは欲望なのか?
 須藤みか著「エンブリオロジスト 受精卵を育む人たち」、大野和基著「代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳」、デイヴィッド・プロッツ著「ノーベル賞受賞者の精子バンク 天才の遺伝子は天才を生んだか」など。気になった方は、ぜひお読みください。
 「赤毛のアン・シリーズ」は、全巻読み終え次第、感想など書きたいと思います。
 今年の後半、とくにその傾向が顕著なのですが、じつは「今年の五冊w」のうち2~5までがすべてアンドロイドのお話しだということで、無意識のうちに、僕はそう言ったテーマの作品を選んでいたようです。
 菅や山本の作品には、アンドロイドを他者と捉え、そのアンドロイドに何を見いだすかは、人間の側の問題であり、そこに見いだしたものが、その人間性を浮き彫りにしていく、といったような特徴があります。あるいは、川原のコミックでさえ、そういう表現がされています。小川の作品では、アンドロイドの行動自体が、ヒトとは何かを問いかけているようです。それに、ねじまき少女に対するバチガルピのスタンスと、小川の<恋人たち(ラヴァーズ)>に対するスタンスの違いといった比較も楽しかったです。(どちらも性玩具としてのアンドロイドである)
 この他にも、SFマガジンに掲載された短編なども読んでいて、その感想なども書きたかったのですが、体力が……orz
 来年、またがんばります。

2011年12月19日月曜日

おがわ甘藍ではない小川作品

 小川幸辰原作「エンブリヲ」全三巻、読了です。
 小川幸辰というと、現在おがわ甘藍名義での仕事が多く、いまでは一般誌にマンガを書いているようですが、一時期は成人マンガばかりでした。
 その成人向けのマンガの内容というのが、ことごとく年端のいかない少女を対象とした作品でした。いわゆるロリコンものですね。
 僕は、おがわ甘藍名義での絵がきらいではなく、成人マンガもストーリー性があって好きでしたので、小川幸辰名義だったころの作品にも興味を持って、今回読んでみました。
 生物学ホラーということで、蠢く虫や肉体を虫に食われていく描写など、グロテスクな描写が多く、独特の雰囲気を持った作品に仕上がっています。
 そのグロテスクさと、虫の卵を宿し、虫を慈しんでしまう主人公布良が清楚な少女であるという対比は、どこかで見た対比だと思い、考えてみると、「風の谷のナウシカ」なんですよね、これって。腐海の森の猛毒の植物をこっそり育て、蟲に愛情を注ぐナウシカは、まさに布良です。しかも、布良が出産した新種の虫が、沼の水質を浄化しているなんて話は、それこそナウシカのような気がします。
 最終巻である三巻で、小川は、現在の絵柄で後日談のようなエピソードを書き加えています。小川幸辰の絵柄が好きな人にとって、あの加えられた二ページで、作品全体をぶち壊してしまっているようにかんじるかもしれません。ところが、僕はいま現在のおがわ甘藍名義の絵が大好きですので、この二ページによって救われた気がします。
 僕の場合、できることならば、おがわ甘藍名義でこんな作品描いてほしいですね。ファンタジーありの、微エロありの、そんなホラー。どうでしょう?

2011年12月10日土曜日

五人姉妹

菅浩江著「五人姉妹」、読了です。
 表題作「五人姉妹」は、五人のクローンが織りなす多様な生き様が、遺伝子への幻想を打ち砕くかのような短編です。はたして、同じ遺伝子でここまで多様な性格が作られてしまうのかは、そういった実験結果が存在しない(というか、存在してはいけない!)ため、わかりません。しかし、それこそSF的なイマジネーションで、では、自分を形成していった要素とは何なのだろうかと考えさせられる、面白い短編です。
 菅は、仮想的な何か(アンドロイドが多い)に自己を投影させ、そこにできあがった幻影のような自己に、本当の自分の姿を見せてしまう天才だと思うのですよね。だから、二本目の短編「ホールド・ミー・タイト」や「夜を駆けるドギー」「賤の小田巻」「子供の領分」などの短編は、仮想的な領域にいるときにこそ真実が見えてくるような、そういった面白さがあります。
 恋愛SF小説として秀逸な「ホールド・ミー・タイト」と「箱の中の猫」。この二作品に見られる細やかな心理描写は、もう、最高ですね。w 参りました。
 「永遠の森 博物館惑星」(批判的なことしか書けそうになかったので、感想を書いていません)の面白さがよくわからなかった僕としては、「お代は見てのお帰り」がやはりよくわからなかったし、「秋祭り」もちょっと批判的な感想があります。
 「秋祭り」って、支倉凍砂著「狼と香辛料」のホロが、村には必要のない神さまになってしまったみたいな、そんなことを言っているのですよね?w
 神さまに幻想が抱ける人って、いいよなぁ。「やさしい神さま」なんて、太古の昔からいらっしゃらないように思う(仮に神さまがいると仮定して)のですが、それって僕のたんなる主観なのでしょうか?

 もう一冊。

 小川一水著「天冥の標V 羊と猿と百掬の銀河」、読了です。
 シリーズも中盤ですね。これまでの四作品が派手で強烈に面白かっただけに、今回はすこし地味で説明くさかったかも?
 そしてやはり、スペオペの古典と言えるスミスの「レンズマン」みたく、ふたつの勢力の代理戦争のような図式になってしまうのでしょうか?(おまえら、自分らで戦争しろよ!みたいな……w)
 これって、小川の「導きの星」のときにも感じた危うさなのですが、下手するとただの薄っぺらなスペオペで終わってしまう可能性もあって……、いや、長編シリーズものにリアルタイムで付き合うと、読んでるこっちもはらはらしてしまいますね。(^_^;)
 っていうか、小川は、こういうのが好きなのかも。
 細かい部分をつまみ出してみれば、興味深い箇所もあるのですが……、う~ん、やっぱり不安だなぁ。(^_^;)
 ひとまず、この作品は次回作に期待しましょう。

 今後の読書予定です。
 SFマガジンを古いものも含めて何冊か買ってしまったので、その中からいくつかつまみ食いします。その後は、「赤毛のアン・シリーズ」の残り三冊を読みます。
 年内はこれくらいが限界だと思うので、それを読み終わり次第、今年の三冊を選びたいと思います。

2011年12月5日月曜日

16才になったどれみ

 栗山緑著「おジャ魔女どれみ16」、読了です。
 桜庭一樹の「GOSICK」が終わり、今野緒雪の「マリみて」も本シリーズが終わってしまい、「ゼロの使い魔」はヤマグチノボルが病気療養中ということで新刊待ち。だから、読むラノベがない!と思っていたところに、おあつらえ向きにこのシリーズの登場です。当時、リアルタイムでアニメを見ていた一ファンとしては、これはもう読むしかないでしょう!
脚本家山田隆司が、栗山緑名義で書いている本作は、どれみの一人称と微妙に辿々しい文章の所為か、どれみらしさがよく出ていると思います。内容的にも、子供向けとは思えないヘビーな題材を使う(介護問題や登校拒否など)アニメだったような記憶がありますので、この小説で書かれている、瀬川美保が脳梗塞で倒れ、春風渓介の仕事が減った──、というような世知辛さも、「どれみらしさ」です。(ですよね?w)
小説ってことなので、アニメでは描けないどれみの内面に深く切り込むような内容も期待してます。これから描かれるであろう小竹とのエピソードも、きっちりと「らしい」心理描写を望みます。
 読んだあとに、懐かしくて、無印の18話「使っちゃダメ! 禁じられた魔法」を久しぶりに観てしまいました(脚本担当はもちろん栗山緑)。やはりいい脚本です。クラスメイトの岡田ななこちゃんを動物嫌いのままにしたくないはづきちゃんの、心の内が手にとるようにわかるんですよね。
 じつは、僕の好きな無印のエピソードをいくつか挙げると、脚本家はたいてい吉村元希だったりするのですがw、18話のような栗山のお涙ちょうだいエピソードも嫌いではなかったので、今後、そういったエピソードにも期待です。
 おジャ魔女って、脚本家の個性がすごく前面に出ていて、毎週楽しみだったのですよね。影山由美の女の子らしさを強調した脚本も良かったし……。
 こうなったら、栗山さんヴァージョンのどれみだけではなく、景山さんヴァージョンのどれみや成田さんヴァージョンのどれみ、吉村さんヴァージョンのどれみとか、女性脚本家たちの小説「どれみ」も読んでみたい気もします。女性が書く「高校生になった女の子の本音」は、少々生々しくなってしまうかもしれません。ですが、どれみはもともと女の子向けのアニメです。男の期待など、平気でぶっちぎってしまうくらいの勢いで、どれみの「女」の部分を描いて欲しい気もします。
 いや、ラノベでそれはまずいか……。(^_^;)

2011年11月24日木曜日

包括適応度を理解するオオスズメバチ

 百田尚樹著「風の中のマリア」、読了です。
 オオスズメバチの一生を、徹底的に擬人化して描いています。しかし、擬人化されていても、彼女らはあくまでもオオスズメバチです。主人公のワーカー、マリアは、自分たちの妹のために、毎日狩りに出かけ、縄張り争いをして、せっせと日々働きます。
 どうしてわたしたちは子供を産めないのか、と悩み、何のために生きるのか、と哲学者のように考えるオオスズメバチ。そして、いきなり染色体やゲノムの話を始め、ハチやアリなどの社会性昆虫に見られる半倍数性の性決定について、オオスズメバチが解説(!)を始めます。さらに、その半倍数性による遺伝子の分配確率から、ハミルトンの包括適応度にまで話が進みます。
 たぶん、オオスズメバチの世界にも、ダーウィンやメンデル、クリックやワトソンのようなハチがいたのでしょう。それに、たぶん、ハミルトンやドーキンスも……。(^_^;)
 オオスズメバチのワーカーたちは、血縁度の計算をしながら、妹たちを育て、女王バチの世話をし、身を呈して巣を守っている──、わけではないので、オオスズメバチ自身に、この包括適応度の解説をさせるのはどうかなぁ?と思ったのですが、女王バチがオスを産む場合と、ワーカーがオスを産む場合は、ワーカーから見てどちらが包括適応度が有利になるかなんて、解説がなければ普通わかりませんよね。だから、わざわざオオスズメバチに解説させたのでしょう。
 ただ、「女王バチ」というネーミングにも、人間のバイアスがかかっていて、はたして女王バチは本当に女王のようにその巣の中に君臨しているのかは、大きな謎です。女王は、ワーカーたちをフェロモンで支配しているかもしれませんが、ワーカーによって彼女たちの姉妹を強制的に生み続けさせられている、とも言えるように思います。(女王─ワーカー間コンフリクト)女王バチの最後は、それを物語っています。ワーカーは、女王にオスを産ますよりは、自分たちで産もうとしたくらいですからね。
 性決定メカニズムが半倍数性の場合、女王バチやワーカー、オスとの関係が複雑でわかりにくいものになります。この本は、血縁度の解説を交えつつ、彼らの関係をわかりやすく解説していて、社会性昆虫の理解に役立つのではないかと思います。

2011年11月14日月曜日

プランク・ダイヴ

 グレッグ・イーガン著「プランク・ダイヴ」、読了です。
 日本オリジナルの短編集であり、どの短編も硬質なハードSFという読み応え十分な一冊でした。
 短編の中でも、数学におけるプラトンのイデア論的実在主義をSF的手法で表現している「暗黒整数」は、なんか、もうすごいの一言ですね。数学的公理の違った別の世界が、この世界と隣り合って実在し、常にこちら側の世界(あるいはあちら側の世界)に影響を及ぼそうとしている。それは、つまり数学的公理によって示される数学が実在的であり、決して数学とは空虚な数字遊びではないということを意味しています。ただ、すこし視点を変えれば、こちら側の数学的公理を脅かすものが、例えば宗教であったり、思想であったり、ときには政治哲学であったりして、そういうものがあちら側の数学的公理であり、常にこちら側の数学を浸食しようとしている、というふうにも読めてしまいます。(イーガンはこんなことを書いてはいない、と十分承知している。僕の頭の中でのお遊びということで、お許しください)
 「ワンの絨毯」は、長編「ディアスポラ」の一部なのですが、長編に組みこまれるときに、多少書き直されているようです。それでも、ワンの絨毯内部で演算されている内部を想像したときに、「では、そこで思考しているものは何者なのか?」といったような意識の問題や、生命というものの定義などをあらためて考えさせられる作品になっています。
 「プランク・ダイヴ」は、正直言って冒頭の素粒子の話から、何を言っているのかさっぱりわからなかった作品です。(^_^;)
 サハロフという科学者から一世紀後、クマールという人の打ち出した理論とあるので、たぶん、イーガンお得意の架空物理学だと思われます。(サハロフは実在する核物理学者のようですが、クマールは……?w)その理論を実証するためには、馬鹿馬鹿しいほどの高エネルギーが必要(たぶん、ハイゼンベルグの不確定性原理がはたらくからだろう。架空物理学なのでなんとも言えないけれど)で、ポリスの住人たちはその理論の検証のためにプランクスケール(最小の長さのスケール、とあるので)となって、ブラックホールにダイヴしようとするわけです。(あってますよね?w)
 ところが、ブラックホールにダイヴし、事象の地平線を通り抜けてしまうと、地平線の外とは因果関係を保ち得ないので、新たにわかったことも、地平線の外には知らせることもできない、となってします。
 ただ、プランク・ダイヴしたポリスの住人たちは、地平線の向こうで、無限に演算することが可能となったため、もしかすると将来、地平線の外側に向かって情報を伝達する方法を見つけ出すかもしれない、という結末に至ります。
 また、彼らの偉業を後世へ伝えようとする伝道者のような人物が登場して、プランク・ダイヴという事業そのものを曲解し、脚色してまで、物語として保存しようとするのですが、面白いことに、その行為をイーガンは冷ややかに否定してしまいます。もうすこし、物語の伝道者を肯定的に描いてもよかったと思うのですよね。だって、イーガン自身、物語を書いているわけなのですから。いや、違うかな?物理の探究は、それを語る人によって言葉で語られるようなものではなく、純粋に数理の世界である、ってことだろうか?うむむ、でもそれだと、イーガンのようなハードSFこそ不要なものとなりそうな気がするのですが……。

2011年11月1日火曜日

子供を性の対象とする人たち

 香月真理子著「欲望のゆくえ 子供を性の対象とする人たち」、読了です。
 何度も書いていますが、僕はロリコンです。
 とくに、一〇歳から一四歳ころまでの少女に性的な魅了を感じてしまいます。これが病気であるのかどうかはともかく、人の理想的な性にはある程度の変態的な逸脱があり、その嗜好や空想を規制することはできません。そういったことを踏まえ、また、そういった人がいることを事実して受け止め、彼ら(僕も含めて)を否定しないというスタンスで香月は取材を敢行しているようです。
 自らも子供時代に性被害にあい、それによって少なからず苦悩したという香月の経験が、こういった取材への情熱となっているようです。ただ、サブタイトルにもあるように、この取材の目的は、子供を性の対象とするということはどういうことなのか、という命題的なものへの解答を指し示すのではなく、あくまでも、子供を性の対象とする人たちにはどのような種類があるのか?という、いわば博物学的な羅列に終始しています。
 僕の私的な意見を述べさせてもらえるならば、香月が網羅した子供を性の対象とする人たちには、犯罪者とそうでない者の区別が無く、あたかも、犯罪の動機と倒錯の根源が同一であるかのように書かれているのは問題だと思います。
 大人の女性にも興味がありながら、その代替物として子供を傷つけることと、子供に性的な魅力を感じることは違うことです。香月自身の取材にもあるように、小児性愛者が踏みとどまれずに一線を越えて犯罪に走ってしまう原因は、性的な欲求もあるのでしょうが、希薄な人間関係であったり、金銭的な行き詰まりによる刹那的な衝動であったりするようです。それは、小児性愛者だけではなく、犯罪者全般にも言えることなのではないでしょうか。
 人を殺したいくらい憎んでしまうことは誰でもあることです。でも、本当に殺してしまうのか、手前で踏みとどまるのかは大きな違いです。電車の中で、ミニスカートの成人女性の太ももに魅力を感じたとしても、それに触れてしまうことと、魅力を感じたままおわることとは違います。この場合の痴漢行為の原因が、成人女性への性的な欲望であるならば、成人女性へ性欲を抱くことは犯罪であり、ケアを必要とする心の病気なのでしょうか?
 多くの日本人は、たとえ本人が否定しようともロリコンであると僕は思っています(多くの成人男性は否定するだろう)。テレビに登場するアイドルの年齢や容姿、氾濫するアニメやマンガなどに描かれる少女の幼さから推測(※1)すると、女性も含めて(※2)、日本人全体が幼さに萌え、可愛さに性的な魅力を感じています。子供を可愛いと思うことは、少なくともこの国では正常な嗜好であり、マイノリティではありません。
 しかし、可愛いと思うことと、彼ら彼女らをじっさいに傷つけてしまうことは違います。

1:アニメなどによる作画に、左右の距離の離れた眼球、小さな口や未発達なアゴ、顔の上下方向の中心より下側に配置される目鼻など、ベビーシェマが多く見られる。また、そういったベビーシェマを持つ女性に性的な魅力を感じていることは、一八禁の同人誌などからも伺える。

2:増淵宗一著「リカちゃんの少女フシギ学」や蔵拓也著「美しさをめぐる進化論 容貌の社会生物学」などによる著書より、そういった答が導かれる。女性自身が幼くありたいと望んでいるかのようだ。