2011年11月14日月曜日

プランク・ダイヴ

 グレッグ・イーガン著「プランク・ダイヴ」、読了です。
 日本オリジナルの短編集であり、どの短編も硬質なハードSFという読み応え十分な一冊でした。
 短編の中でも、数学におけるプラトンのイデア論的実在主義をSF的手法で表現している「暗黒整数」は、なんか、もうすごいの一言ですね。数学的公理の違った別の世界が、この世界と隣り合って実在し、常にこちら側の世界(あるいはあちら側の世界)に影響を及ぼそうとしている。それは、つまり数学的公理によって示される数学が実在的であり、決して数学とは空虚な数字遊びではないということを意味しています。ただ、すこし視点を変えれば、こちら側の数学的公理を脅かすものが、例えば宗教であったり、思想であったり、ときには政治哲学であったりして、そういうものがあちら側の数学的公理であり、常にこちら側の数学を浸食しようとしている、というふうにも読めてしまいます。(イーガンはこんなことを書いてはいない、と十分承知している。僕の頭の中でのお遊びということで、お許しください)
 「ワンの絨毯」は、長編「ディアスポラ」の一部なのですが、長編に組みこまれるときに、多少書き直されているようです。それでも、ワンの絨毯内部で演算されている内部を想像したときに、「では、そこで思考しているものは何者なのか?」といったような意識の問題や、生命というものの定義などをあらためて考えさせられる作品になっています。
 「プランク・ダイヴ」は、正直言って冒頭の素粒子の話から、何を言っているのかさっぱりわからなかった作品です。(^_^;)
 サハロフという科学者から一世紀後、クマールという人の打ち出した理論とあるので、たぶん、イーガンお得意の架空物理学だと思われます。(サハロフは実在する核物理学者のようですが、クマールは……?w)その理論を実証するためには、馬鹿馬鹿しいほどの高エネルギーが必要(たぶん、ハイゼンベルグの不確定性原理がはたらくからだろう。架空物理学なのでなんとも言えないけれど)で、ポリスの住人たちはその理論の検証のためにプランクスケール(最小の長さのスケール、とあるので)となって、ブラックホールにダイヴしようとするわけです。(あってますよね?w)
 ところが、ブラックホールにダイヴし、事象の地平線を通り抜けてしまうと、地平線の外とは因果関係を保ち得ないので、新たにわかったことも、地平線の外には知らせることもできない、となってします。
 ただ、プランク・ダイヴしたポリスの住人たちは、地平線の向こうで、無限に演算することが可能となったため、もしかすると将来、地平線の外側に向かって情報を伝達する方法を見つけ出すかもしれない、という結末に至ります。
 また、彼らの偉業を後世へ伝えようとする伝道者のような人物が登場して、プランク・ダイヴという事業そのものを曲解し、脚色してまで、物語として保存しようとするのですが、面白いことに、その行為をイーガンは冷ややかに否定してしまいます。もうすこし、物語の伝道者を肯定的に描いてもよかったと思うのですよね。だって、イーガン自身、物語を書いているわけなのですから。いや、違うかな?物理の探究は、それを語る人によって言葉で語られるようなものではなく、純粋に数理の世界である、ってことだろうか?うむむ、でもそれだと、イーガンのようなハードSFこそ不要なものとなりそうな気がするのですが……。

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