山本弘著「アイの物語」、読了です。
物語とは?という問いかけが、そのまま「ヒトとは何か?」という問いかけに置き換えられています。アンドロイドに物語を語らせながら、山本は物語の中で物語論を展開し、それはじつはヒトについての話であるという結末にたどり着きます。そして物語全体が終わりを告げたときに、ヒトとは何か、その回答の一つが示されます。とても面白い体験でした。
アンドロイドという「他者」に対して、ヒトが投影する意識は、その投影するヒト自身の意識が映った鏡のようものです。他者の中に善意を見いだすか悪意を見いだすかは、アンドロイドに投影するヒトの意識次第なのかもしれません。
「となりのアンドロイド」で黒崎政夫が述べたように、アンドロイドが自発的な意志を持つようになることは、非常に難しいだろうと思います。しかし、僕は不可能だとは思っていません。そうやって、いつしか自発的な意志を持ったアンドロイドが生まれるならば、ヒトとアンドロイドとの境界は、もしかすると山本弘が述べるように、「夢をみること」なのかもしれません。ただ……。自発的な意志を持ったアンドロイドが「夢をみない」というのは違和感があります。何らかの自発的な希望や願望がなければ、自発的であるはずはないと思われますので。すると、アンドロイドも夢をみる(ああ、なんかディックの小説のタイトルみたいだ!)わけで、ますますヒトとの境界はあやふやになっていきそうです。これを突き詰めていけば、アンドロイドが限りなくヒトに近づき、もはやヒトと区別がつかず、ヒトがそのような他者に向かって自発的な意志を感じるのであれば、そのような他者は、完全な「ヒト」なのではないか?という気もしてくるのです。結局、ヒトは同種のホモ・サピエンスの中にだけに、ヒトと同じような自発的な意志と心を感じています。ヒトの自発的な行動と、犬の自発的な行動が違えば、そこには理解を隔てる壁が築かれるように。
ブログなどにある山本弘の言動はあまり好きではないのですが、この作品は好感が持てました。「ヒトは全て認知症である」はよかったですね。たしかに、アンドロイドからみればそうかもしれません。できれば、社会全体が、あるいは全てのヒトが、この物語のように善良で合理的であればいいのですが。
少し不満があるとすれば、少子化の説明が不十分だったこと。なぜヒトが少子化してしまうのかを、もう少し掘り下げて欲しかったですね。しかも、社会学的ではなく、生物学的な理由を模索して欲しかったと思います。
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