2011年6月16日木曜日

エロいSF

 小川一水著「天冥の標IV 機械じかけの子息たち」、読了です。
 最初から最後まで、エロいです。(^_^;)
 でも、考えてみれば、「メニー・メニー・シープ」から一貫して「天冥の標」の根底にあるものは、人の情動のようなもので、「メニー・メニー・シープ」ではエランカがラドスに欲情し、「救世群」では圭伍が千茅の幼い乳房に触れ、「アウレーリア一統」では、アダムスがミクマックのたくましい体に抱かれたいと感じました。小川は、人のそういった情動を描こうとしているかのようです。何が彼らをそのように突き動かすのかはわかりませんが、ときに、情熱的な性衝動に突き動かされてしまうものなのですね、人というのは……。そういう意味では、人はまったくの文化的な存在ではなく、動物的な側面を色濃く残している生き物なのでしょう。「機械じかけの子息たち」を読みながら、そんなことを考えてしまいました。
 性愛を描いたSFはいくつか読んだことがありますが、これほど真正面から性愛を取り上げ、哲学的にも楽しい作品は珍しいのではないでしょうか。人が、繁殖というくびきから解放された性愛を身につけ、娯楽としての性戯を楽しみ謳歌しながら、そこに罪悪や軽蔑、そして羞恥を感じるのはなぜなのだろう、といったような背反するいくつかの感情について議論しています。果たして、繁殖を伴わない性愛は、社会的に、あるいは倫理的(生物学的にではなく)には正しい行いなのでしょうか、それとも間違った行為なのでしょうか?

 時間軸的に「アウレーリア一統」の直後の話であることがわかります。そのためか「天冥の標シリーズ」としての物語展開はそれほど進行していないように思います。
 「天冥の標シリーズ」の中で、<恋人たち(ラバーズ)>がどういう立場にあるのか?や、ダダーの目的など、不明なことが多すぎて今後の展開がまったく読めません。今後の展開に期待します。

0 件のコメント:

コメントを投稿