ゴールデンウィークを利用してアニメ「赤毛のアン」を観たわけなのですが、原作を読んでみると面白いことに気付きます。
アニメの第一話。マシュウが馬車でアンをグリーンゲーブルズまで連れ帰るシーンで、アンのおしゃべりに耳を傾けるマシュウが、目ですごく演技しているのですよね。マシュウはもともと無口なので、あまりしゃべりません。ところが、その無口なはずのマシュウが、目でスゴイ演技をしているわけです。上を見たり、アンを見おろしたり、斜め上を見上げたり。
この演出はすごいなぁ、と思って、原作ではどのように描写されているのだろうかと注目して読んでみたところ、原作にはそんな描写は一切ないのです。ただ、アンの長々としたおしゃべりと、マシュウの辿々しい受け答えだけで、マシュウが視線をさまよわせた、とか、マシュウは上を見上げて考え込んだ、などのような記述は一切ありません。
つまり、アニメ「赤毛のアン」の演出家は、原作の行間から、マシュウのあのような表情を読み解いて演技させたわけです。しかも、その演技がピタリとあのシーンに合っていて、原作の行間の向こうで、本当にマシュウはあのような表情をしていたかのように思ってしまいます。すごい演出家です、高畑勲は……。
リンゴの並木道を通った直後、しゃべり続けていたアンが、「まあ、クスバート(アニメではカスバート)さん!まあ、クスバートさん!!まあ、クスバートさん!!!」と叫んだまま絶句します。その様子はマシュウ目線で描かれ、「はなやかな空をよぎる美しい幻の群れを、見つめているかのようだった」とモンゴメリが補足を入れているだけで、他には一切アンの内面は描かれていません。ところが、高畑勲は、ものの見事にアンの内面世界を描き切りアニメーションで鮮やかに表現しています。
少女小説をここまで完璧に読み解き、原作にない描写を演出し、行間の狭間を埋めるような演技を登場人物に与えることなど、簡単にできることではありません。天才ですよね。女性以上にアンの内面を知り、少女たち以上に「赤毛のアン」を理解した男(こう書くとちょっとキモイですが w)……。前回、アニメは原作に忠実だ、と書いたのですが、訂正します。アニメは原作以上にすばらしい作品だったのですね。
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