2011年10月18日火曜日

アンドロイドは心の中の他者なのか?

 菅浩江著「プリズムの瞳」、読了です。
 意志を持たないアンドロイドに何を見るか?は、そのアンドロイドを見つめている人の心そのものです。
 アンドロイドが反乱を起こして人を殺すのではないか。
 人の知能を圧倒的に凌駕して、人はアンドロイドに使われるのではないか。
 アンドロイドが人に代わって、この地球を支配するのではないか。
 こういった疑心暗鬼は、それが人の心の映し鏡であることに気付くでしょうか?
 例えば、小説を書くアンドロイドいて、その小説がベストセラーになってしまった場合、あなたはそのアンドロイドを賞賛するでしょうか、嫉妬するでしょうか。ちなみに、あなたは売れない小説家です。
 アンドロイドには、本を書いてベストセラーにしてやろうとか、ライバルの小説家よりもおもしろい作品を書いてやろう、などの意志はなく、ただ、アルゴリズムに従って小説を書いただけなのですが、その結果に、どのような感情を抱くかは、その作品と対面したときの各個人の心のありようで変わると思うのです。
 僕はこの本を読んでいると、「アンドロイド」というガジェットを使った小説を書こうとするときの、それぞれの作家たちが持っている心も映し出しているように感じました。
 アンドロイドを殺人ロボットして描くのか、性玩具として描くのか、ただの絵描きとして描くのか?
 ハリウッド映画などの「アンドロイドといえば殺人兵器」みたいな設定は、やはり、作り手側、あるいはそういった映画を好んで観る観客の心を反映しているとしか思えないのです。
 想像上のアンドロイドという観念そのものが、人の心を反映していて、では、観念的な心の中のアンドロイドとは何なのか?と問われば、それはその人の心の中にある他者(あるいは異性)のようでもあります。他者に善意を見るのか、悪意を見るのか、それは人それぞれなのでしょう。

2011年10月17日月曜日

仏陀再誕再観!

 僕は、「すべての宗教はインチキだ」と思っています。神や悪魔、霊や魂、天国や地獄など、人の神経細胞が生み出した空想上のクリーチャー、あるいはアーティファクトです。映画「仏陀再誕」の中で、霊界の裁判官(?)が糾弾していた唯物論者ですね。(^_^;)
 さて、久しぶりにその「仏陀再誕」を観ました。
 前半から、唯物論者の金本さんが霊界で糾弾されていたり、医者である小夜子の父親が空野に説教食らっていたりと、唯物論者の僕にとっては耳の痛い映画となっております。
 この映画、操念会の会長によって、主人公小夜子の弟が現代医療では治せない病にかかり、それをTSIの空野が霊能力で治療する場面があります。この、不治の病がTSIの力によって治ってしまう、というような描写は、裏を返せば、TSIの力がなければ治せない病気があり、仮にそういった力を信じないのであれば、死んでも仕方ない、といっているようでもあります。
 この、遠回しな脅迫は、敵方の操念会会長が唱えている論と同じ手法であることに気付きます、よね?それは、恐怖による支配です。
 操念会の会長の論を、自らにとって都合のいいような主張であるとして否定する空野の主張もまた、自分にとって都合のいいような論をお仕着せようとしています。
 空野さん、「人間の本質は心にある!」と叫ばれているようですが、その根拠は?
 「真理は!」とか「本質は!」などと叫ぶ人間の主張をよく聞くと、それはたんに「俺の言いたいことは!」と叫んでいるに過ぎない場合が多いのですよ。
 政治の世界で繰り広げられる討論のカリカチュアのようなふたりのかけひきです。俺の言うことが正しい!いや、俺の言うことが正しい!みたいな。
 宗教的な主張がいかに多くの人に受け入れられるのかは、とても政治的なかけひきであり、それが正しいかどうかは関係なく、多く人心を掌握した宗教が将来生き残っていくのでしょう。
 この映画では、TSI側が勝利したので、空野に「俺が正しい!」と主張する権利が生じたわけです。そして、勝った空野の方が、「俺がブッダの生まれ変わりだ!」と叫ぶことができるわけです。操念会会長が言うとおり、まさに、この世は弱肉強食ですね。

 ちなみに、巷では、登場人物の空野は大川隆法だとか、荒井は池田大作だなどの憶測が飛び交っているようですが、この映画では一切そのように述べられてはいないので、今回は、そういった憶測なしに書いてみました。
 仮に、現実世界にTSIなる宗教団体があり、その宗教団体がプロパガンダとしてこの映画を作ったのであれば、小夜子が、操念会の集会に参加し、感化されそうになった場面で、ぜひ、現実世界でこの映画を観ることによって感化されそうになる危うさにも、この映画を観た人たち全員に気付いて欲しいと思うのです。
 映画の中で操念会の会長がやっていたことと、そっくり同じことを、空野さんは映画館に来た人たちにしているのですよ。
 恐いのは、この映画の対象としている人たちが、リテラシー能力の低い比較的若い年齢であることです。そのために声優陣を豪華キャストにし、主人公を小夜子のような女子高生に設定したのでしょう。弱者を狙う、非常に狡猾で卑劣な手段ですね。
 現実世界で、宗教団体がこういったTSIのような卑劣なプロパガンダを行なうことのないよう祈ります。
 大丈夫ですよね?「TSI」は、「幸福の科学」ではないですよね?

2011/10/19 修正

2011年10月12日水曜日

アンドロイドは人を映す鏡

 菅浩江著「そばかすのフィギュア」、読了です。
 たまたま取り寄せたSFマガジン2008年4月号に掲載されていた「流浪の民」を読んだのがきっかけで、この菅の初期作品集を手にとってみることにしました。
 人のような感情を持たないアンドロイドに、人が感じるさまざまな感情を映している──、これは、山本弘の「アイの物語」などでもみかけた現象なのですが、菅の場合、それを意識的に行なっているようで、人為らざるものや、自分の合わせ鏡のような対象に、自分自身の感情を映し出し、浮き彫りにしています。
 ファンタジーめいた作品でありながら、そこに何かが潜んでいるかのような奥深さがあり、楽しめました。なかなかの良作揃いです。

 この後は、同じく菅浩江の「プリズムの瞳」を読みます。
 その後は、読みかけの河野哲也著「暴走する脳科学 哲学・倫理学からの批判的検討」、そして、大野和基著「代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳」を読みます。その後は未定となっています。
 しかし、Amazonのカートにはすでに何冊か……。(^_^;)

2011年10月4日火曜日

ヴィクトリア朝の人たちとガンダム世代

 コニー・ウィルス著「犬は勘定に入れません あるいはヴィクトリア朝花瓶の謎」、読了です。
 たしか、発刊された翌年くらいに購入した本です。何かの続編ということで、積ん読のまま放置していました。それが、最近、山本弘の本などで紹介されていましたので、書棚の奥から引っぱり出して読んでみることになりました。
 本編はラブコメタイムトラベルSFであり、とても楽しい作品でした。「ドゥームディー・ブック」の姉妹編にあたるらしいのですが、直接の続編ではないので、この作品単体でも十分楽しめます。
 で、今回は、例によって本編とはまったく関係ない話を。(^_^;)
 ヴィクトリア朝の人たちというのは、現実にはどうだったのか知りませんが、本の中で話言葉にやたらと詩や小説を引用します。
 「犬は勘定に入れません」では、テレンスが、テニスンの詩やルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、シェークスピアなどをやたらと引用しまくります。遠く離れたカナダでも、「赤毛のアン」のアン・シャーリーは、テニスンやシェークスピアを引用し、果ては、テニスンの詩を真似て、自分でボートに横たわったまま川を下り、あやうくおぼれかけてしまいます。
 この、話の合間にやたらと何かを引用したがる人たちというのは、僕の周囲にもじつはたくさんいて、それがどういう人たちなのかというと、みんな「エヴァンゲリオン」や「ガンダム」で育った世代の人たちなのですよね。
 職場の設備(3号機)が調子悪くなると、「エヴァ三号機、現時刻をもって破棄!」と叫んだり、新しい器具が導入されると、「見せてもらおうか。連邦のなんちゃらの性能とやらを」とつぶやいたり。
 ガンダム世代(エヴァ世代)には、ガンダム世代共通のコンテクストが存在していて、それが強烈に作用するので、例えば、古い機器を勧めるようなヤツには、「お父さん、酸素欠乏症で頭が……」と指摘して、その台詞のコンテクストを通じて背景にある共通した意味性を感じることができます。
 この、ガンダム世代共通のコンテクストと、ヴィクトリア朝の英国人がシェクスピアやテニスンから得ていたコンテクストは、同じ種類のモノであり、アン・シャーリーがランスロットの声によって悲劇の姫となったシャーロットを真似たように、僕たちもまた、シャア・アズナブルを演じ、「認めたくないものだな。若さ故のなんちゃらかんちゃら」と言い、「坊やだからさ」とツッコミます。
 こうやって考えると、あの、気持ちの悪いヴィクトリア朝時代の会話にも、少しは共感できるのではないでしょうか?(^_^;)

2011年9月15日木曜日

完璧な主人公

 山本弘著「詩羽のいる街」、読了です。
 山本弘はSF作家だという先入観からか、主人公の詩羽を、途中までずっとアンドロイドだと思っていました。(^_^;)
 でも、詩羽から受ける印象というのは、もしかすると「アンドロイドのようだ」で正しいのかもしれません。それほど彼女の思考が論理的で、埋めるべきパズルの形状を探し出す能力が、とても人間とは思えなえなかったからです。
 売買の仲介をした場合、その仲介者が経費以上の金銭を得る(これが利益)というのが、普通の人間の行いです。利益を得ることによって、人は自分の時間を持つことが可能になり、安心を得ます。詩羽も、ポイントを得ることで、仲介の対価は得ているようですが、それが等価交換、というか、物々交換のようになっていて、経済的には利益を得ていません。ただし、詩羽はそのかわりに、人の関係を築いて、その関係を利用して(共生関係)生きています。
 たぶん、普通の人間であれば体力的にも精神的も辛いであろう生活を難なく乗り切り、人心を掌握し、人のネットワークを記憶し、欠けたパズルのピースをピタリと当てはめていく詩羽は、僕にとって人ではなく、高度な演算を一瞬で終わらせてしまうコンピュータのように思えてしまうのですよね。
 「アイの物語」のアイビス(まさに彼女はアンドロイド!)と共通するような詩羽の思想は、たぶん山本弘自身の思想なのだろうと思います。多くの人が、このような論理的な思考が可能で、善意に満ちていれば、福島原発事故への人々の対応ももっと違ったものになっていたのでしょう。この事故では、風評に翻弄される人々が世界中にいるという事実をあらためて実感しました。山本は、このように論理的ではなく、感情で突っ走ってしまうような人々にあふれたこの世界へ、作品を通して挑戦しているかのようでもあります。

 ただ……、「いい話」だったのですが、うまく行きすぎな気もします。山本弘の理想は、こうなのかもしれませんが……。

2011年9月4日日曜日

アイデアは面白いのだけど

 野尻抱介著「ロケットガール4 魔法使いとランデブー」、発売されて四年目にしてようやく読了です。買い逃してしまった文庫本で、古本で買おうとする値段が高くて買えなかったのが、久しぶりに探してみたら千円以下になっていましたので、即購入です。
 で、野尻さん、ここで「はやぶさ」ネタを書いていたのですね。どうしてこの人が「はやぶさ」ネタを書かないのかと思ってました……。
 野尻の小説は、良くも悪くもSFというジャンル小説の極みのような位置づけであり、その内容というのが決して文学的ではないところに、良さがあると思うのです。(ああ、すいません、こんなこと書いて!w)
 ただ、なぜか最近その文学的ではない部分に物足りなさを感じているのも、正直な感想です。
 久しぶりに野尻の本を読んでみようと思ったのは、SFマガジン20011/8月号で「初音ミク」の特集をやっていて、その雑誌で知った野尻の2008星雲賞受賞作品「南極点のピアピア動画」を読んだのがきっかけなのですが、その作品も、少し物足りなかったのですよね。
 ハードSF的に、アイデアとしては面白いと思うのですが、アイデアだけで終わってしまっているような気もしています。ロケットガール4の中編「魔法使いとランデブー」にしても、ゆかりとマツリが、スキンタイト宇宙服だけで大気圏突入してしまうのは、向井さんの説明で予測できてしまうのですよね。で、予測通りの物語を読まされるから、たとえその行動がとんでもないことであっても退屈です。もう一捻り欲しいところです。
 ハードSFといえども、物語の面白さは必要です。小説なので……。(^_^;)

2011年9月1日木曜日

特撮を知らないと損をする一例

 山本弘著「地球移動作戦 上下」、読了です。
 地球を移動させるためだけに書かれた小説ですね。(^_^;)
 SF的な大仕掛けや考証は楽しそうなのですが、物語としては少しつまらないなぁ。「妖星ゴラス」へのオマージュだそうで、僕は「妖星ゴラス」を知らなかったため、単純に普通のSFとして読んでしまったわけなのです。つまり、「妖星ゴラス」を知らない人間は読んじゃダメってことなのでしょうね。
 山本の作品には必ずトンデモを唱える個人や団体が登場し、書き手として山本は、自身が合理的な考え方である立場からその非合理さを暴き、糾弾しようとする姿勢がうかがえます。山本の合理さには善意や優しさも含まれていて、その思想が作品の中で開花したのが「アイの物語」なのだろうと思います。
 今回の「地球移動作戦」も、地球に接近するミラーマターでできた天体など存在しないなどとする団体やいくつかの宗教団体が登場し、事実をねじ曲げ、自分たちの主張を押しつけます。これに対する山本の善意とは、科学的な知識であり合理性です。こうやって書くと、山本の作品って、なんだか社会科学の人と自然科学の人の対立を描くJP・ホーガンの作品じみていますね。w
 こういった善悪の二極化のような現象が起ってしまって、それがこの作品の面白さを多少スポイルしているような気がしています。その二極化の中の、グレーゾーンのようなところにいたジェノアPが、テロリストの計画を未然に防いだり、設定年齢を低くして主人公の魅波ともっと絡めたり、もう少し物語を牽引してもよかったんじゃないでしょうか。
 たとえば、映画「セカンド・アース」を制作したとき、ジェノアPはまだ子供だったということに変更し、魅波と同世代にして、過去の遺恨を乗り越え、恋愛関係に進展。このふたりをくっつけてもよかったかも!w パーソナリティのよくわからないシリンクスのような女が相手よりは、面白そうな気がします。っていうか、魅波がシリンクスのどこを好きと思っているのかも、よくわからないんですよね。(^_^;)

 いやいや、違う。
 この小説の楽しさは、そんなところにあるのでなくて、あくまで「妖星ゴラス」へのオマージュだというところにあるのでした。忘れるところだったよ。(^_^;)