2012年5月28日月曜日

繰り返される相互作用

 金子邦彦著「カオスの紡ぐ夢の中で」読了です。
 『円城塔氏が渾身の解説を寄せる~』という本の帯に惹かれて買ってみました。
 円城塔が解説を寄せる?この違和感。w
 そうなのか。円城塔は、前衛と呼ばれるよくわからない小説を書くばかりでなく、解説をすることもできるんだ!(^_^;)
 金子邦彦の著書は他には「生命とは何か──複雑系生命科学へ──」を読んでいます。あの著書で、乱雑な成分を含み複製を繰り返す膜状のものの中に、やがて規則のようなものが生まれ、それがDNAのようなものになったのではないか?といった議論は、僕にとって非常に説得力を持つものでした。それまでに読んだドーキンスのDNARNA)が先に生まれたといったような生命観に比べて、金子の説を思わず採用したくなるほどに魅力的でした。複雑系というもののおもしろさにすっかりはまった瞬間でもあったわけです。
 たぶん、僕が複雑系の魅力を何も知らない状態でこの本を手にとってみれば、やはり何だかよくわからない本だったのでしょう。あるいは、円城塔の「これはペンです」を読む以前だったら、円城塔が解説をしている面白さはまったく理解できなかったのかもしれません。そういう意味で、僕とこの本はまさに「ダイナミックな相互作用」の渦中にあります。
 この本に収録された「小説進物史観」の中の、小説を書くプログラムと読者である人との関係のように、現実世界での読み物の評価にもカオスが関わり、この先読む予定の円城塔著「道化師の蝶」への評価に、非線形的な変動をもたらすのでしょう。
 僕がどれほど複雑系を理解できているのかは不明ですが、入れ子状になったこの本の構造自体も楽しく、また、円城塔の理解(あるいは作品の理解)という意味においても、非常に面白い本でした。

2012年5月11日金曜日

ビブリア古書堂

 三上延著「ビブリア古書堂の事件手帖~栞子さんと奇妙な客人たち~」、読了です。
 書店で見かけて、ちょうどラノベが読みたかったので買ってみました。
 本好きの女性で眼鏡、しかも巨乳(表紙から勝手に想像!)とくれば、自分のなかではあの紙使いの読子しかいない!と思っていたところに新キャラ登場です。
 いわゆるラノベっぽいノリを期待していただけに、いい意味で裏切られました。
 古本にまつわるお話しが、ミステリー仕立てで展開していきます。主人公の栞子は、足が不自由で人見知りが激しく、物静かな本好きな女性という、悪く言えば男の欲望を具現化したかのようなキャラクターなのですが、そういった媚びは感じられないので好感が持てます。このあたり、ラノベっぽくないんだよね。
 で、面白かったので続編の「ビブリア古書堂の事件手帖2 ~栞子さんと謎めく日常~」も買って一気に読んでしまいました。
 そして深まった謎が、一巻の表紙。
 あれは、栞子の母親の肖像画だったのか?
 しかし、背景には液晶モニタのようなものもあるし、どう考えても栞子の母親の時代とは思えない。一巻で五浦がはじめて目にした栞子の服装に酷似しているようですが、あのときはたしか髪をゆるい三つ編みにして結い上げていたはず。しかし、一巻の表紙を飾るのが栞子の母親というのはすこし不自然。ん~、どっちだろ?
 どちらにしても、各エピソードごとのミステリーとは別に、母親や栞子にまつわる謎も、ストーリー全体に絡んでくるようです。
 続刊が楽しみですね。

2012年5月9日水曜日

やがては出荷される少女たち

 今野緒雪著「マリア様がみてる フェアウェルブーケ」読了です。
 久々の新刊です。今回は、リリアンの教師にスポットが当てられています。
 「花物語」などもそうなんですけど、教師と教え子の関係は、この手の小説にとっては意外に王道なんですよね。実際問題、現実世界で女子高生と教師の関係がどうなのかはともかく、ファンタジー世界でのこういった妄想に浸るのは有りなのかと思っています。
 幼稚舎から大学までの一貫教育をずっとお嬢さま学校で受けていた女性が、そのままリリアンの教師になるということは、彼女はその世界しか知らない純粋培養お嬢さまであり、生徒たちが彼女らに、同質の匂いを嗅ぎ取ってもおかしくはありません。しかし、そういったお嬢さまであっても、やがては“出荷”されるわけであり、それが、リリアンの生徒たちに現実問題として突きつけられているかのようです。
 女性にモラトリアム期が生じたのは、女性が高等教育を受けられるようになってからであり、結婚までの準備期間が、彼女たちにさまざまな精神的な活動を与えたようです。
 今回の「フェアウェルブーケ」では、教師に対してさまざまな想いを、リリアンの生徒たちは巡らします。そして、教師たちは、やがて卒業し結婚するリリアンの生徒たちの将来を暗示しているかのようです。
 「花物語」で描かれる結婚が、辛く厳しいものだったのにくらべ、「マリア様がみてる」で描かれる結婚が、明るく希望に満ちているものであることが、男からすれば救われるのですが、やはりというか、なぜ?というか、祐巳ちゃんもすっかり三年生の紅薔薇さまになって、やがて卒業して結婚するなどと想像すれば、男とすれば寂しいなぁと思うわけです。とくに、男嫌いの祥子さまの将来は、心配ですね。w
 そんなふたりの、夏休みの過ごし方なども想像させられました。
 やはり、このシリーズ、面白いですね。次作も期待しています。

2012年5月8日火曜日

火星ダーク・バラード

 上田早夕里著「火星ダーク・バラード」読了です。
 偶然にも、チャイナ・ミエヴィル著「都市と都市」に引き続き、警察小説を読んでしまいました。そして、エンターテイメントとしてこの作品はすごく面白かったです。僕は上田の「華竜の宮」を最初に読んで、すこし取っつきにくい作家だと勝手に想像してしまっていたのですが、他作品はこんなにも面白いのですね。
 僕にとってこれは「戦う美少女」のジャンルに入れるべき作品です。薄幸の美少女に同情する中年男と、その男に恋してしまう少女。中年男が抱いてしまうファンタジーをそのまま小説にしてしまったような、かゆいところに手が届いている作品と言えます。(^_^;)
 ただ、すこし疑問点も。
 SF的なガジェットとしては、例えば火星で発見された生物のDNAなどが登場します。そのDNAを使って、アデリーンのような能力を持った子供が誕生するわけです。地球以外の何らかの要素が、ヒトをヒト以上の能力に改変してしまうといった設定は、なんとなく説得力がありそうですが、結局のところ、このお話しでは遺伝子の配列をすべて書き上げてしまうテクノロジーのある世界になっているため、火星由来の遺伝子は必要ないような気もします。
 人間の価値観のなかでの「進」化は、通常自然界が選択するような変化の取捨選択とは違って、恣意的な変化を選択してしまいがちです。人間の作り出した倫理観や理想論に沿った変化だけを、「進」化として認めたがる傾向にあるように思われます。実際には、人殺しを好むように変化することも、人殺しを好まない方向に変化することも、それが遺伝子型のなかに変異を認められたならば、どちらかが倫理的に間違っていても、両方とも進化なのですよね。
 ノーベル賞受賞者の精子を集め続けたあの人や、優秀などっかの民族の血だけを残そうとした誰かさんみたいに、グレアムの野望も潰えてしまうのかなぁ、などと、いろいろと想像させられた作品でした。

2012年4月24日火曜日

見てはいけないものを見て……

 チャイナ・ミエヴィル著「都市と都市」、読了です。
 久々に海外SFを堪能しました。
 ふたつの国の大部分が重なり合っていて、その国で暮らす人たちは、異国の人や建物、車やペットなどを見ないようにして生きています。そんなあり得ないような都市で起った殺人事件から、物語は始まります。以降、ネタバレ含みます。ミステリーですので、本編を先にお読みください。
 まさに奇想小説であり、最初に僕が想像したような、混ざり合ったイスラエルとパレスチナのようなものではなく(大森望の解説によると、そういったプランが実際に米国の政治学者のあいだであったらしい)、もっと荒唐無稽なものらしいとわかります。ミステリー仕立てのストーリーは、この荒唐無稽な都市で語られる都市伝説(さらに荒唐無稽な!)を巡り進行していきます。
 僕は、どこからかその都市伝説上のオルツィニーと呼ばれる都市が忽然と現われそうな期待で読み進めたわけですが、いい意味で裏切られました。物語は、この荒唐無稽な都市の常識の範疇で終始します。著者は都市が重なり合ってしまった原因には言及していないし、作中で過去に何があったのかの詳しい説明もなく、これらは読み手の想像に任されます。都市が重なり合った<クロスハッチ>部分では、異国である街を見ることはできず、互いに異国である人同士も見ることはできません。しかし、その人物を異物だと認識するためには、見なければならないわけで、そのため、このふたつの国では、見ていないようなふりをすることを義務づけられています。
 ただ、一般的な都市そのものが、もしかすると<クロスハッチ>したものかもしれないし、それを言えば、人の暮らしそのものが<クロスハッチ>したものかもしれない、そんなことも思ってしまいます。見てしまったのだけれども、見なかったことにしないといけないような……。人が生きていく中で、どれほどそういう事態があることか。あるは、そういう気遣いを求められる場合が、どれほどあることか。w
 この作品の異常さは、それが国家レベルで行なわれているところです。互いに気遣う両都市から抜けだし、主人公ボルルは最終的には<ブリーチ>に行きます。その結果、ボルルは集合の全体に対して自由になった一方、どちらの集合からも認識されない存在となってしまったわけです。いわば、幽霊のようなものです。画像編集ソフトのレイヤー機能のように、多重構造の階層を一段上ってしまい、ボルルは空気のようにふたつの都市に拡散したかのようです。その意味するところが、世捨て人のようでもあり、下層構造を俯瞰する霊のようでもあります。
 あるいは、意味などないのかもしれません。何かのアナロジーであることは、幻想や奇想には必要ないですからね。

2012年4月9日月曜日

法律遵守の海賊たち

 笹本祐一著「ミニスカ宇宙海賊(パイレーツ)」、読了です。
 アニメ観ていて気になった箇所がいくつかあったので、原作読んでみました。
 かなりな質量の太陽光帆船が、七日間という短時間でハビタブルゾーンにある惑星から恒星をまわって帰ってくるためには、どれほどの面積の帆が必要なのだろうか、などと考えながら読んでしまいましたが、このスペオペのノリというか、勢いというか、こういうの好きです。
 アニメでは、オデット二世号の背後で星が瞬いたり、真空中でハッチの開閉音が響いたりして、それがかなり気になってしまいました。電子戦で電力が足らなくことの理由ももっと欲しいと思っていたところ、原作ではきちんと書かれてあるのですね。それにバーベキューロールするオデット二世号にはりついた茉莉香が、恒星がオデット二世の陰に入った瞬間に見た天の川銀河も、たぶん、瞬いてはいないし、通信機から聞こえてくるヨット部の部員たちの呼吸音しか聞こえないという記述もあって安心しました。
 たぶん、実際に宇宙で行なわれる戦闘行為なんていうものは、想像以上に視覚的には地味なもので、アニメにするのって大変そうなんですよね。忠実に描いてしまうと、ひどく退屈で地味な作品になってしまいそうです。
 一定のルールのなかでだけ有効な免許を持ち(私掠船免状)、国家の決めたルールに従って営業するだけの団体を「海賊」と呼べるかどうかはともかく(もはや「賊」ではないような……。かなり悩みました。決められたルール以外の略奪行為なども行なっていれば海賊だと思えるのですがw)、海賊たちがじつはいい人、というか、あまり悪人ではない海賊というか、そんなお話しのなかの「海賊」にありがちな海賊たちのお話しです。
 しばらく付き合ってみたいと思います。

2012年3月7日水曜日

マリア様の本性

 これも、過去ネタです。
 ずいぶん前になるのですが、エドワード・O ウィルソン著/岸由二訳「人間の本性について」を読みました。
 この本の中で、ウィルソンは、同性愛について、以下のように述べています。
 抜粋します。

──ここから──

 ところで、同性愛はもしかすると、生物学的な意味では正常なのかもしれない。それは、初期人類の社会組織の重要な一要因として進化した、一種の明確な親切行動なのかもしれないのである。私の考えるところでは、この可能性はかなり強いものだと思われる。同性愛者たちは、人間の所有するわずかな利他的衝動のうちのなにがしかを遺伝的に担っている人々なのかもしれないのである。

──ここまで(エドワード・O ウィルソン著/岸由二訳「人間の本性について」ちくま文芸文庫P261より)──

 このあと、ウィルソンは「血縁選択説」を挙げて、同性愛だけではなく人間の性行為自体が、繁殖を目的とするものである以上に、人間関係のきずなを深めるための行為として重要であると主張します。
 この一節を読んでふと思い出した人物がいました。
 佐藤聖です。w (こういうのしか思い出さないオレって……)
 今野緒雪著「マリア様がみてる いばらの森」の中で、登場人物の佐藤聖は、久保栞に対する同性愛の強い想いに悩みます。そして、その悩みに回答を得ようと、様々な本を読みます。
 こちらも抜粋します。

──ここから──

 この気持ちは、いったい何なのであろうか。
 私は恋愛に関する小説を片っ端から読みあさった。どこかに私の気持ちを解説し、解決法を伝授してくれるものはないかと思った。でもその結果は、小説嫌いの人間を一人誕生させただけだった。
 どんな名作と讃えられた物語でも、自分の身に起きた現実の出来事の教科書にはなりえない。
 同性愛を扱った小説も読んではみたが、私の求める答えはどこにも記されてはいなかった。
 次に私は、生物やその生殖に関係する本を読み始めた。
 その結果思ったことは、私の体内の信号伝達装置はどこか壊れているのかもしれない、ということだった。子孫を残したいと考える遺伝子の策略にはまって男女の恋愛が始まるのならば、遺伝子を半分ずつ持ち寄って一つの生命を作ることのできない同性の私たちが、どうしてこのように惹かれ合わなければならなかったのか。その理由は、どうしてもわからなかった。

──ここまで(今野緒雪著「マリア様がみてる いばらの森」集英社コバルト文庫P240より)──
 
 佐藤聖も、上記のような本を読んでみればよかったですね。(^_^;)
 進化心理学などでは、こういった性的なマイノリティにも、なんらかの遺伝的な要素を仮定しようとするらしいのですが、考えてみれば、僕たちが普通に持っている友情とか愛情とかの垣根ってどこにあるのだろうかと考えると、そこには人間独自(あるいは他の動物も含まれるのか?)の性向があるのかもしれません。
 まったくの異性である祐巳ちゃんの祥子さまを思う気持ちやその逆、また、瞳子のツンデレに共感できる心を僕たちが持っているということは、そこに共通のプログラムのようなものを感じてしまいます。
 ヒトはどこまでが遺伝的でどこからが文化的なのか。その狭間にあるのが性的マイノリティの問題であり、デリケートな議論になると思われます。
 こういった曖昧な領域に科学がどこまで迫れるのか、非常に興味があります。カッコウの托卵行動など、明らかに遺伝的な獲得形質なのですが、当然のようにその発現の仕方は、ある遺伝子と一対一の関係にあるわけではなく、複雑なものです。性的マイノリティが遺伝的であるにしろ、その解明は非常に困難であるように思われます。まして、それが文化的な影響下にある生物の行動なので、困難さの度合いはさらに高まりそうです。

 それはともかく、今野先生、祐巳と瞳子、由乃と奈々のその後、書いてくれないでしょうかねぇ……。