2011年10月12日水曜日

アンドロイドは人を映す鏡

 菅浩江著「そばかすのフィギュア」、読了です。
 たまたま取り寄せたSFマガジン2008年4月号に掲載されていた「流浪の民」を読んだのがきっかけで、この菅の初期作品集を手にとってみることにしました。
 人のような感情を持たないアンドロイドに、人が感じるさまざまな感情を映している──、これは、山本弘の「アイの物語」などでもみかけた現象なのですが、菅の場合、それを意識的に行なっているようで、人為らざるものや、自分の合わせ鏡のような対象に、自分自身の感情を映し出し、浮き彫りにしています。
 ファンタジーめいた作品でありながら、そこに何かが潜んでいるかのような奥深さがあり、楽しめました。なかなかの良作揃いです。

 この後は、同じく菅浩江の「プリズムの瞳」を読みます。
 その後は、読みかけの河野哲也著「暴走する脳科学 哲学・倫理学からの批判的検討」、そして、大野和基著「代理出産 生殖ビジネスと命の尊厳」を読みます。その後は未定となっています。
 しかし、Amazonのカートにはすでに何冊か……。(^_^;)

2011年10月4日火曜日

ヴィクトリア朝の人たちとガンダム世代

 コニー・ウィルス著「犬は勘定に入れません あるいはヴィクトリア朝花瓶の謎」、読了です。
 たしか、発刊された翌年くらいに購入した本です。何かの続編ということで、積ん読のまま放置していました。それが、最近、山本弘の本などで紹介されていましたので、書棚の奥から引っぱり出して読んでみることになりました。
 本編はラブコメタイムトラベルSFであり、とても楽しい作品でした。「ドゥームディー・ブック」の姉妹編にあたるらしいのですが、直接の続編ではないので、この作品単体でも十分楽しめます。
 で、今回は、例によって本編とはまったく関係ない話を。(^_^;)
 ヴィクトリア朝の人たちというのは、現実にはどうだったのか知りませんが、本の中で話言葉にやたらと詩や小説を引用します。
 「犬は勘定に入れません」では、テレンスが、テニスンの詩やルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、シェークスピアなどをやたらと引用しまくります。遠く離れたカナダでも、「赤毛のアン」のアン・シャーリーは、テニスンやシェークスピアを引用し、果ては、テニスンの詩を真似て、自分でボートに横たわったまま川を下り、あやうくおぼれかけてしまいます。
 この、話の合間にやたらと何かを引用したがる人たちというのは、僕の周囲にもじつはたくさんいて、それがどういう人たちなのかというと、みんな「エヴァンゲリオン」や「ガンダム」で育った世代の人たちなのですよね。
 職場の設備(3号機)が調子悪くなると、「エヴァ三号機、現時刻をもって破棄!」と叫んだり、新しい器具が導入されると、「見せてもらおうか。連邦のなんちゃらの性能とやらを」とつぶやいたり。
 ガンダム世代(エヴァ世代)には、ガンダム世代共通のコンテクストが存在していて、それが強烈に作用するので、例えば、古い機器を勧めるようなヤツには、「お父さん、酸素欠乏症で頭が……」と指摘して、その台詞のコンテクストを通じて背景にある共通した意味性を感じることができます。
 この、ガンダム世代共通のコンテクストと、ヴィクトリア朝の英国人がシェクスピアやテニスンから得ていたコンテクストは、同じ種類のモノであり、アン・シャーリーがランスロットの声によって悲劇の姫となったシャーロットを真似たように、僕たちもまた、シャア・アズナブルを演じ、「認めたくないものだな。若さ故のなんちゃらかんちゃら」と言い、「坊やだからさ」とツッコミます。
 こうやって考えると、あの、気持ちの悪いヴィクトリア朝時代の会話にも、少しは共感できるのではないでしょうか?(^_^;)

2011年9月15日木曜日

完璧な主人公

 山本弘著「詩羽のいる街」、読了です。
 山本弘はSF作家だという先入観からか、主人公の詩羽を、途中までずっとアンドロイドだと思っていました。(^_^;)
 でも、詩羽から受ける印象というのは、もしかすると「アンドロイドのようだ」で正しいのかもしれません。それほど彼女の思考が論理的で、埋めるべきパズルの形状を探し出す能力が、とても人間とは思えなえなかったからです。
 売買の仲介をした場合、その仲介者が経費以上の金銭を得る(これが利益)というのが、普通の人間の行いです。利益を得ることによって、人は自分の時間を持つことが可能になり、安心を得ます。詩羽も、ポイントを得ることで、仲介の対価は得ているようですが、それが等価交換、というか、物々交換のようになっていて、経済的には利益を得ていません。ただし、詩羽はそのかわりに、人の関係を築いて、その関係を利用して(共生関係)生きています。
 たぶん、普通の人間であれば体力的にも精神的も辛いであろう生活を難なく乗り切り、人心を掌握し、人のネットワークを記憶し、欠けたパズルのピースをピタリと当てはめていく詩羽は、僕にとって人ではなく、高度な演算を一瞬で終わらせてしまうコンピュータのように思えてしまうのですよね。
 「アイの物語」のアイビス(まさに彼女はアンドロイド!)と共通するような詩羽の思想は、たぶん山本弘自身の思想なのだろうと思います。多くの人が、このような論理的な思考が可能で、善意に満ちていれば、福島原発事故への人々の対応ももっと違ったものになっていたのでしょう。この事故では、風評に翻弄される人々が世界中にいるという事実をあらためて実感しました。山本は、このように論理的ではなく、感情で突っ走ってしまうような人々にあふれたこの世界へ、作品を通して挑戦しているかのようでもあります。

 ただ……、「いい話」だったのですが、うまく行きすぎな気もします。山本弘の理想は、こうなのかもしれませんが……。

2011年9月4日日曜日

アイデアは面白いのだけど

 野尻抱介著「ロケットガール4 魔法使いとランデブー」、発売されて四年目にしてようやく読了です。買い逃してしまった文庫本で、古本で買おうとする値段が高くて買えなかったのが、久しぶりに探してみたら千円以下になっていましたので、即購入です。
 で、野尻さん、ここで「はやぶさ」ネタを書いていたのですね。どうしてこの人が「はやぶさ」ネタを書かないのかと思ってました……。
 野尻の小説は、良くも悪くもSFというジャンル小説の極みのような位置づけであり、その内容というのが決して文学的ではないところに、良さがあると思うのです。(ああ、すいません、こんなこと書いて!w)
 ただ、なぜか最近その文学的ではない部分に物足りなさを感じているのも、正直な感想です。
 久しぶりに野尻の本を読んでみようと思ったのは、SFマガジン20011/8月号で「初音ミク」の特集をやっていて、その雑誌で知った野尻の2008星雲賞受賞作品「南極点のピアピア動画」を読んだのがきっかけなのですが、その作品も、少し物足りなかったのですよね。
 ハードSF的に、アイデアとしては面白いと思うのですが、アイデアだけで終わってしまっているような気もしています。ロケットガール4の中編「魔法使いとランデブー」にしても、ゆかりとマツリが、スキンタイト宇宙服だけで大気圏突入してしまうのは、向井さんの説明で予測できてしまうのですよね。で、予測通りの物語を読まされるから、たとえその行動がとんでもないことであっても退屈です。もう一捻り欲しいところです。
 ハードSFといえども、物語の面白さは必要です。小説なので……。(^_^;)

2011年9月1日木曜日

特撮を知らないと損をする一例

 山本弘著「地球移動作戦 上下」、読了です。
 地球を移動させるためだけに書かれた小説ですね。(^_^;)
 SF的な大仕掛けや考証は楽しそうなのですが、物語としては少しつまらないなぁ。「妖星ゴラス」へのオマージュだそうで、僕は「妖星ゴラス」を知らなかったため、単純に普通のSFとして読んでしまったわけなのです。つまり、「妖星ゴラス」を知らない人間は読んじゃダメってことなのでしょうね。
 山本の作品には必ずトンデモを唱える個人や団体が登場し、書き手として山本は、自身が合理的な考え方である立場からその非合理さを暴き、糾弾しようとする姿勢がうかがえます。山本の合理さには善意や優しさも含まれていて、その思想が作品の中で開花したのが「アイの物語」なのだろうと思います。
 今回の「地球移動作戦」も、地球に接近するミラーマターでできた天体など存在しないなどとする団体やいくつかの宗教団体が登場し、事実をねじ曲げ、自分たちの主張を押しつけます。これに対する山本の善意とは、科学的な知識であり合理性です。こうやって書くと、山本の作品って、なんだか社会科学の人と自然科学の人の対立を描くJP・ホーガンの作品じみていますね。w
 こういった善悪の二極化のような現象が起ってしまって、それがこの作品の面白さを多少スポイルしているような気がしています。その二極化の中の、グレーゾーンのようなところにいたジェノアPが、テロリストの計画を未然に防いだり、設定年齢を低くして主人公の魅波ともっと絡めたり、もう少し物語を牽引してもよかったんじゃないでしょうか。
 たとえば、映画「セカンド・アース」を制作したとき、ジェノアPはまだ子供だったということに変更し、魅波と同世代にして、過去の遺恨を乗り越え、恋愛関係に進展。このふたりをくっつけてもよかったかも!w パーソナリティのよくわからないシリンクスのような女が相手よりは、面白そうな気がします。っていうか、魅波がシリンクスのどこを好きと思っているのかも、よくわからないんですよね。(^_^;)

 いやいや、違う。
 この小説の楽しさは、そんなところにあるのでなくて、あくまで「妖星ゴラス」へのオマージュだというところにあるのでした。忘れるところだったよ。(^_^;)

2011年8月25日木曜日

中世ドイツの異星人

 マイクル・フリン著「異星人の郷」、読了です。
 今年の一月に読み始めた長編SF、マイクル・フリンの「異星人の郷」をようやく読み終えました。
 途中、なぜ放り出したのかというと、中世のドイツの描写があまりに長々しく続いて退屈だったというのが最大の理由だったのです。
 お盆休みを利用した読書計画の中で、あれもこれもと詰め込んでいたら、「そう言えばマイクル・フリンのあの作品を未読のままだった!」と思いだし、急遽その読書計画の中に詰め込んで、ようやく読了となりました。
 これは……。やはり、退屈だ……。(ああ、すいません。この著書のファンの方、そう怒らないでください!)
 というか、たぶん、この著書のファンの方は、この作品が地味で退屈であることは十分承知していて、その退屈さがこの作品のいいところだと主張されているのだろう思います。そして、僕のようにこの作品に否定的な読者を、「こいつは、わかってねぇよな」と見下せるほどの読書経験をお持ちの人たちであろうということも想像できます。
 でも……。
 でも、あえて言わせてもらいたい!

 この作品は退屈だ!!(^_^;)

 全体として、マイクル・フリンの趣味に付き合わされたように感じます。彼が描きたかったのが中世のドイツであり、その時代に生きる人々の生活様式や道徳や思想だったのは明らかであり(あるいは、そういったものと現代的なものとのギャップ)、そこに宇宙人を登場させたのは、当時の彼らがそのような存在に出会い、どのような行動をとるのか?と言った仮想的で壮大な思考実験だったように思えます。
 付き合わされたこっちとしては、彼の壮大な暇つぶしに付き合わされたような気もします。
 かなりな力作で労作であることは認めますが、個人的には微妙でした。

2011年8月19日金曜日

あなたのための物語

 長谷敏司著「あなたのための物語」、読了です。
 SFマガジン編集部編「2010年版 SFが読みたい!」において、ベストSF2009国内第二位だったので、読んでみました。(ちなみに、第一位は伊藤計劃著「ハーモニー」)
 作品のテーマが「死」であるだけに、全編を通して重苦しく、痛みをえぐるような文章で綴られています。僕は、長谷敏司という作家の作品を読んだことが無く、なんの先入観もなく読み始めたわけなのですが、SFマガジンの評価ほどに高得点ではなかったのです。
 長谷の死に対する心象が、僕とは大きく食い違うからなのかもしれません。
 例えば……。
 抜粋します。

──ここから──

 死は、人間が言語を使いはじめて文化の歩みを進める中、常に無為であり続けた。そして今後も無為な断絶であり続ける。

──ここまで──(ハヤカワ文庫JA 長谷敏司著「あなたのための物語」5ページ)

 小説の冒頭から、長谷は死についてこう述べています。「無為」がどういう意味で使われているのか、少し分かりづらいのですが、仮に、何もしないで放っておいた、という意味であるなら、人類の病気との格闘や延命処置の技術向上はいったい何なんだ!と問いたいですね。決して、人類は死を無為にやり過ごしてはいません。
 たしかに、最終的に人間の全てが死んでしまうと言う現実からは逃れられてはいませんが、「無為」である、とは思わないのですよね。脳死などは、明らかに「作為的な死」だと思うのです。
 物語が冗長で、何度も同じ文章を読まされたあげくに、そう大した話ではなかったような気がします。
 冗長な文章もあって、例えば。

──ここから──

 動機が、動いている物体が外力を加えられない限り動き続ける、慣性力に似ているように思えた。

──ここまで──(同作品338ページ)

 いや、そこは、簡単に「動機が、慣性力に似ているように思えた」でいいでしょ!(^_^;)
 頭の中で意味を考え、文章を再構成しながら読んでいったので、かなり時間がかかりました。苦労した……。(^_^;)